高校二年、修学旅行の帰り。空港のロビーではJリーグの試合が流れていた。首位の浦和対二位の贔屓クラブ。リーグ戦は残り三試合。天王山と目され注目度は高い。この試合で負けたら相手の優勝が決まるのもあって、わたしはサッカー部に混じり、手に汗握って試合の行方を見つめていた。勝ってくれ。願わくば、贔屓の選手の活躍で。勝手に自己投影して好きになったフォワードは、今日もベンチを温めている。

ケガで戦列を離れた選手に自分の姿を重ねて

その選手は二年前にやってきた。初年度から二桁ゴールと大活躍するも、シーズン終盤に膝の前十字靭帯を損傷する大怪我をして戦列を離れる。ほとんど一年をリハビリに費やしても、元のようなキレのあるプレーは戻らなかった。三年目のその年は、シーズン序盤こそスタメンだったが精彩を欠き、その後は控えに甘んじていた。

その苦しさは理解できる気がすると、傲慢にも当時のわたしは考えていた。バレーボール部、ポジション・ベンチウォーマー。実力不足というなら納得もいくけどさ、何度も試合に出ている同じ初心者の友人と、能力が変わらないのは気のせいか? 荷物運びに応援、ラインズマン。後輩の仕事まで率先して動いているのに、どうして部活ノートに「試合に出たい」と書いただけで、顧問に「裏方仕事を馬鹿にしてる」と詰られないといけないんだ? 

彼が活躍してくれたら鬱屈とした日常も変わるかもしれない

怪我の影響と顧問、プロと部活動。同じ境遇というにはレベルが違い過ぎる。でも同じように、自分ではどうしようもできない何かに煩わされていた。試合に出るたびSNSで文句を言われるその選手に、勝手に自分を重ねる。彼が活躍すれば、鬱屈とした日常も何か変わるのではないか。あるいはわたしが頑張れば、彼が一矢報いる日がくるのではないか。そんな思いあがった小さな期待が、日々の糧だった。

試合は膠着したままフライト時刻になり、上空では試合の情報から遮断されていた。空港へ降り立ち、学校へ帰る。一足先にネットで試合結果を調べた浦和ファンの友人が、悲鳴を上げた。「負けた。0-2」。その一点目、殊勲の決勝点を挙げたのは、まさにその贔屓の選手だった。
そこから帰宅するまでの出来事がすっぽり抜けている。あるのは、喜びのあまり泣き出して、クラスメイトを驚かせた記憶ぐらいだ。自分の苦労までひっくるめて報われた気になった。翌日にはスポーツ紙をまとめ買いして、スクラップした。ゴール動画の視聴回数は、私一人で百回以上稼いだと思う。

そのゴールは誰かの記憶に残り、誰かの心を救うかもしれない

結局、彼はその年限りでクラブを去った。シーズン三冠という快挙を達成したものの、すべてベンチで優勝の瞬間を見届けている。不遇…不遇だったのかもしれない。でも彼の決めたゴールはすべて、大事な試合の大事な得点だ。
何点取ったかだけではない。どんな試合で決めたのか、どんな背景を背負っていたのか。それがただの一点を記憶に残る一点に変え、時に誰かの心を救う。少なくともわたしは、救われた。

現実は厳しい。わたしも最後まで底辺の扱いのままだった。でも、その経験は明確な指針を生んだ。チームを支えるすべての要素に光を当てたい。誰もが努力していて、でも日の目を見る一点を誰もが決められるわけではないと知ったからだ。大学ではスポーツ新聞部へ。成果至上主義のプロならともかく、学生報道ならそれができると信じていた。

今も当時も、苦しいときに顔を上げると、一歩前を走っているユニフォームの背中を思い浮かべた。一人の選手を追って走り抜けたあの日々が、今のわたしを形づくっている。たかが一点。それでもあのゴールは、ずっとわたしの宝物だ。