変に期待されたくない私は大抵「いない」と答えて逃げていた
「好きな人、いないの?」
友達との下校中。修学旅行の夜。金曜日の女子会。ランドセルを背負っていた頃も、お酒を飲むようになってからも、この質問は女の子たちの集まる場では定番だった。だけど私はいくつになっても、この質問が苦手だった。「いない」と言えば期待外れのような反応をされるし、「いる」と言えば「誰?他の人には言わないから!」と質問攻め。好きな人を教えるのは弱みを握られるようで抵抗があった。それに一度教えたが最後、勝手に進展を期待され、集まるたびに「〇〇君とは何かあった?」とまた質問攻め。その時々で好きな人はいたけれど、変に期待されたくない私は大抵「いない」と答えて逃げていた。
私は全くモテなかった。いや、今も別にモテないけれど。大学生になり20歳を過ぎても、誰とも付き合ったことがないどころか、告白されたこともなかった。そんな私への「好きな人、いないの?」は、いつまで経っても彼氏ができない私から、何とかして恋バナを引き出そうとしての問いだったのかもしれない。
しかし当時の私ときたら、人並みに恋愛をしている女の子から恋愛事情を詮索されるたび、「私の恋なんてどうせ成就しないんだから、ほっといてくれ!」と心の中で喚いていた。そして彼氏がいる子を見ては僻み、自分のモテなさを自虐ネタにして、「私は一人が得意だから」と笑っていた。
そう、私はいわゆる「こじらせ女子」だったのだ。
自分でも否定はしていたけれど。4月のある日、帰りが一緒になって
彼氏いない歴=年齢を更新し続けながら大学を卒業し、大学院へ進学した。その頃私は、同じ大学院のある先輩のことが気になっていた。
私はその気持ちを誰にも言わなかったし、こじらせが過ぎて自分でも否定していた。「どうせ好きになっても叶わない、期待するだけ無駄。少し先輩と話す機会が増えて調子に乗ってるだけで、これは恋じゃない」と。
4月のある日、先輩と帰りが一緒になった。一緒になることはそれまでも何度かあったが、たまたま帰る方向が同じで、タイミングが合ったからで、どちらかから誘ったわけでもない。一緒に帰ってくれるのは、一人で帰るより多少は楽しいからだろうな、と勝手に先輩の気持ちを想像していた。そんな信号待ちのことだった。
「好きな人、いないの?」
心臓がバクンと飛び跳ねた。硬派で口数の少ない先輩から、この質問が来るなんて。「な、なに聞いてるんですか!」などと大声を出して、必死にごまかしながら、私は否定してきた自分の気持ちをはっきりと認めてしまった。先輩のことが好きだ。
それから数ヶ月かかったけど、先輩は私の人生初の彼氏になった。「好きな人、いないの?」って聞かれて好きになった…いや、好きだったのを認めたなんて、今になっても本人には言っていない。同じ質問を散々私に投げてきた友達にも報告して、ようやく私は質問攻めから解放された。(アラサーとなった今は、「結婚は?」という新たな質問に苦しめられているけど。)
自分を貶めるのは、もうやめよう。好きならその気持ちを大事に
聞かれなくなった今だから思うのは、好きな人を他人に教える必要はないけれど、自分で認めてあげるのは大事だということ。好きな人がいなければいないでいいし、いてもそれは自分だけが知っていればいい。恋愛はモテる人の特権じゃない。「こんな私が」なんて思わずに、好きならその気持ちを大事にしよう。
モテないからってこじらせて、卑屈になっていたあの頃の私に伝えたい。確かにあなたはモテない。でも、あなたを好きになる人がいる。だから、もう自分を貶すのはやめなよ、と。