就職活動のニュースを見ると、未だにわたしの心はきゅっと小さく縮んでゆく。

肌を焼き付けるような暑さが続いていた去年の7月ごろ、わたしは慣れないスーツに身を固め、もうとっくに終わっているはずだった就職活動と戦っていた。当時、買い換えたばかりのスマートフォンの検索履歴は“就活 終わらない”、“内定 出ない”など、就活の不安で埋まっていた。Twitter上にいた同じような仲間たちの現状報告にひそかに励まされていたことを、痛みとともに昨日のことのように思い出す。

当時のわたしは、電車のホームに吸い寄せられてしまう人の気持ちがわかるほど、絶望の淵に立って、深淵をのぞき込む日々を過ごしていた。

勉強やサークル…全部120%の期待に応えてきたはずなのに

もともと要領がひたすら悪いこともあり、自分自身の立てた目標に達することができなかったという悔しさから、自信を持つことができず、就活を迎えてしまった。そのことが何よりも足を引っ張ったのだろう。

学歴は十分、学業成績も学年上位でサークルでも運営を任されていた“良い子”が、よもや就活に苦戦するとは思われていなかったのか、心配する人たちは誰もいなかった。

しかし、親しい人たちの評価を裏切るように、わたしは第一志望からも第二志望からも不合格の烙印を押され、次第に自分がやりたいことがわからなくなっていった。

友人や親にも、誰にも苦しみを明かせなかった。就職できないという不安もあったけれど、それより何よりも怖かったのは、このまま就職できなくて"期待外れ”になることだった。

勉強もサークル、親からの期待だってどんな期待もすべて120パーセントにして返すのが当たり前だった当時のわたしにとって、その期待に沿えないということは自分そのものを否定されるのと等しかった。

自分のすべてが壊されていくことに耐えられなくて、何もない自分をさらされるのが怖くて、なんとか自分の価値を証明しようと、どんなに苦しくてもバイトと大学は休むことなく通って、笑顔を絶やさないようにした。

内定をもらえていない私が大学卒業したら…なくなる「肩書き」

虚像に塗り固めた自分が限界に達したのは、ほんの些細なきっかけだった。

それは就活の休みの日、山手線の電車の車窓からなんとなく外を眺めていたときのこと。ふと、スーツを着た会社員の人たちが歩いているのが、目に飛び込んできた。こんなたくさんの人たちが、当たり前のように就活で選ばれて、特別な名前を与えられているのに、わたしは何も持っていない。

大学を卒業したら、このまま肩書がすべてなくなる。頑張って積み上げてきたわたしの人生はなんだったのだろうと思ったら、涙が自然とこぼれ落ちていた。電車の中で泣くなんて末期だなんて思いながら、涙を止めることができなかった。周りの人に奇妙なまなざしを向けられないようにと、わたしは逃げるように次の駅で降りた。

そんな中、就活と同時並行して進めていた卒論の参考にするため、とある作家さんのお話を聞きに行った。話が進んだ、そのとき「わからないことはやめたくなるし、不安。けれど、わからないから、面白い」と柔らかな綿が降り立つように、放たれた言葉がわたしの琴線に触れて、凝り固まっていた感情を揺れ動かしたのがわかった。「ああ、そうだったのか」と腑に落ちる。

敷かれたレールの上を歩き、目の前にある課題をひたすらクリアして、“期待された未来”を「正解」だと信じ、ひたすら追い求めていくことしかできなかった。でも、それだけがすべてじゃない。就活で大企業だったり、周りの人がよいと思っている進路に進んだりするのだって、素晴らしいこと。

しかし、自分が思っていたのと違うことが起こるからこそ、人生は面白いんだ。帰り道、その日聞いた言葉をかみしめながら、わたしは就活にもう一度、頑張って向き合ってみようと思った。

人生は何が起こるかわからないから、面白いと思えるようになった

その後就活を再開したわたしは、持ち前の粘り強さを生かし、徹底的に就活と自分自身を見つめ直した。すると、ネームバリューや周りからの声を気にしていたときには見えなかった、自分にとって大切だった存在に、少しずつ気付いていった。

その結果、紆余曲折はあったものの、内定式の数日前に今の会社から内定をいただき、今では、自分がやりたい仕事をしている。それは、必ずしも大学時代に思い描いていた未来そのものではない。けれど「それはそれで面白い」と思えているから、人生はわからないものだなと今では笑える。

もしかしたら、これを読んでくださっている方の中にも、就活に今現在、苦しんでいる人もいるかもしれない。そんな人がもし、ネットの海の中でこの文章にたどり着いてくれたのなら、私は声を大にして言いたい。

「あなたはまだ、終わってなんかいない。就活は確かに上手じゃないかもしれないけれど、必ずあなたの良さを発見してくれる人がいる(少なくとも、続けているということが粘り強さという武器の証明になっている)。そして、そうやって藻掻いた日々が、もしかしたらそれまでの人生の『思い込み』を、変えてくれるきっかけになるかもしれない」

第一志望に就職出来なかった“負け組”からの戯言かもしれないけれど、就活に失敗したと思っている誰かに、少しでも届けば嬉しい。