「へぇ、そんな音楽も聴いているんだ。それって、ひょっとして元カレの影響だったりするの?」
少し不安そうに、しかしどこかで確信を持ちながら、眉をしかめた男は聞いた。私は、「あぁ」とため息にも似た声をもらし「ううん、中学生のころから、ずっと好きなの」と答えた。からりと氷の溶ける音がどこかから聞こえた。
踏切の音が辺りを満たす。「そうなんだぁ、よかった」とつぶやく声をかき消すように、銀色の電車が通り過ぎていく。例えようもない違和感に、また今日も私は夜を使い捨てるのだと目を伏せた。
私の「好き」は、いろいろなことと交わって重なって生まれているもの
「それって男の影響なの?」
今まで出会ってきた男性から、この台詞をどれほど言われただろう。音楽について話しても、小説について話しても、映画について話しても……すべてが異性の影響でないと納得いかない、そんな人々が少なからずいるらしい。
もちろん、私の“好き”は、いろいろなことと交わって重なって生まれているものだ。一瞬にして虜になったものもあれば、日々を過ごしていく中で、あれ、もしかして好きかもしれないなんて気付くこともあるだろう。
それは間違いなく人と関わってきたからで、誰の影響も受けていないと言ったら嘘になる。嘘になるけれど、それとこれとは話がちがう。
学生の頃、当時の恋人とジャズバーを訪れたときの話
私がまだ学生だった頃の話。当時付き合っていた恋人とジャズバーを訪れた。私も彼もジャズが好きで、チェット・ベイカーの『It's Always You』をうっとりとしながら聴いた。好きな音楽をシェアできる関係はすばらしい、心からそう思えた瞬間だったことを覚えている。
恋人が席を外した時、近くに座っていた男性は私に微笑みかけ、私も微笑みながら少し頭を下げた。すると、その男性はこう話した。
「退屈でしょう、男の趣味に付き合うってのは」
とても穏やかに、そしてやさしさを舌で転がすかのようにその男性は続けた。
「ジャズなんて女の子には分からないかもしれないが、付き合ってあげるなんてやさしい子だねぇ」
あぁ、この人はきっと私を馬鹿にしている。
私の手に包まれたグラスは、からりと音を立てて揺れた。
いろいろな反論が頭を駆け抜けては散り、ようやく私の口から出た言葉は「そんなことありませんよ」のたった一言だった。情けなかったかもしれない。ひどく情けなかったかもしれないけれど、言い返す気力すら溶けてなくなってしまっていたのだ。呆れが勝ってしまった時、人は言葉を失ってしまう。
誰の影響でもない!私の「好きなもの」は、私で決める!
「それって男の影響?」
この台詞を言われる度、からりと氷の溶ける音がする。
私があの日ジャズを聴きに行ったのは、恋人のわがままに付き合ったからではない。男の人から「やさしいねぇ」と言われるためでもない。私が私の意思でジャズを好きだと決めたから。聴きたいと決めたからだ。
あれだってこれだって、私の好きなものは私が選んできた。
あなたのせいじゃなくってよ。
私は今日も、私が選んだ好きを携えて生きている。