SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)。
直訳は、“社会的な繋がりを提供するもの”となるだろうか。
使い方は様々。
広告や情報発信、日常や思い出の備忘録などなど。
好きなことを発信し共有するツール。それに対して共感者が反応をする。
そんな感じで、私はSNSを捉えている。
インスタ映えする写真を投稿して「いいね」がくると嬉しかった
私がSNSに興味を持ったのは中学生の時。
当時、周りで流行り出していたTwitterを友達に誘われ、一度その子のアカウントを見せてもらった。とても楽しそうで、他の友達もやっていたので「やりたい!」と思い、親に話した。
すると親には「まだダメだ」と反対された。その時は「皆やってるのになんでダメなん?」と疑問にしか思わなかったが、今になれば反対された理由はわかる。 SNSをちゃんと使えると思ってなかったのだろう。
結局、高校受験が終わり中学を卒業した後、親からの許可も降りて初めてのSNS、Twitterを始めた。
「〇〇高校に入学します。同じ高校の人フォローしてください!」
入学前の友達探しが始まっていた。Twitter初心者の私も周りに置いてかれるのが嫌で、たくさんフォローして話をした。実際に入学すると、その子たちとは直接だとなんだか話し辛くてそれほど仲良くならなかったが、新しくできた友達とはフォローし合い、仲良くなるきっかけにはなったし、遅れている気もしなかった。
次に始めたInstagram。“インスタ映え”という言葉も浸透し、高校生の時はスタバの新作が発売されると放課後に買いに行き、プリクラをよく撮っていた。遠出しておしゃれなカフェのパンケーキも撮った。いつもより「いいね」が沢山くると、嬉しい気分になった。
「いいね」が欲しくて、私は自分自身を偽っていた
大学生になった頃、初めはよく使っていたTwitterは周りも私もほぼ使わなくなりInstagramをよく利用するようになった。
そしていつからかわからないが、私は周りを気にして自分自身を偽るようになった。Instagramには、共感されやすい事ばかり投稿するようになったのだ。
私が本当に投稿したいのは、自分の好きなもの、楽しかったことのはずなのに「いいね=共感」が少ないと、否定されてる気がしてできなかった。
特に大好きなジャニーズのグループは、否定されて傷つくのが嫌で高校生の時は1番仲のよかった子以外、誰にも言わなかった。本当はInstagramに「コンサート楽しかった!」って投稿したい、でも怖い。なんて思われるかわからないから怖かった。
それくらいSNSに縛られ、SNSを肌身離せなかった私は、コロナ禍による自粛期間中Instagramを一定期間休んでいた。
理由はInstagramを見るのが辛くなったからだ。
所謂、“SNS疲れ”になっていたのだ。
自粛期間中、Instagramで『〇〇リレー』と言うものが流行り出した。リレーが自分に回ってこなかった時、リモート飲みなどをしながら、おうち時間を楽しく充実させている周りの生活を見た時に自分との差に気づき羨ましくなって、見ると気分が落ち込むようになっていた。
私は、SNSに完全に心を蝕まれていた。
いや、SNSの使い方を間違っていたから、自分自身で心を蝕み続けていたのだと思う。
いっそのこと今あるSNSを全てやめれば済む話なのかもしれないが、好きなことは投稿したいし、恥ずかしながらそんな勇気はまだ持てない。
私なりのSNSとポジティブに付き合う「マイルール」
そこでInstagramを休んでいる期間、自分なりのSNSとの付き合い方、「マイルール」を作ることにした。
Instagramは、とりあえず知り合いだからフォローしておこうはやめて、自分がマイナスな気持ちを持たないように、その人の投稿を本当に見たいかをよく考えてフォローするようにした。
Twitterは、公式アカウント以外誰もフォローせず、ただただ呟く専用のものにした。好きなジャニーズもアイドルも気にせずなんだって呟けるようになった。
SNSは特定の人に嫌な思いをさせない限り、好きなことが呟ける場だと思っている。だからこそ、自分にとって必要か不必要かをしっかりと見極める必要があるのだと思う。
SNSを始めてから約6年が経ったが、ようやく自分に合ったSNSの使い方を知れたような気がする。
SNSは、自分自身にとってポジティブな存在であり続けたい。