年が明けて少しした頃、慌ただしいお正月といつもの日常の隙間のような時間に、毎年開くノートがある。表紙が可愛くて買ったはいいものの、何を書けばいいのか分からずに何年もしまい込んでいたA5サイズのノート。

数年前から年が明けるたびに、わたしはこの分厚いリングノートに「これからの人生で叶えたいこと」を100個書いている。願い事と目標の合いの子くらいの心持ちで、100個書く。

誰かに見せるわけじゃないけど、私は叶えたいこと100個書いた

以前『引き寄せの法則』とか『書くだけで幸せになれる手帳』とか、そういったものにハマっていたときにネットで読んだ記事がきっかけで、こんなことをやり始めた。他のルーティンはことごとく続かなかった。「毎日ポジティブな言葉を書いてハッピーになろう!」とか言われても、ネガティブなわたしが一生懸命捻り出した“ポジティブな言葉”なんて嘘くさいし。学校の先生に褒められるために書いた作文みたい。

だから“叶えたいこと100個”も、最初は「書いたって叶うわけない」と渋々書いていた。誰にも見せる気はないのに、何故か死ぬほど恥ずかしかった。「実現が難しいことばかりじゃなくて、行動さえ起こせば明日にでも叶えることができることも織り交ぜるのがコツ」とネットで読んだ通り、「駅前のカフェに行く」とか「苺を1パックまるまる食べる」とか、しょーもないこともたくさん書いた。というか、そうでもしなければ100個なんてなかなか出てこない。

結局出来上がったものは、大半が「〇〇を買う」「〇〇に行く」に埋め尽くされた物欲リストだった。こんなの、お金さえあればぜーんぶ叶うのに。一つくらいお金があるだけじゃ叶わないことを書いてやろうと必死に考えた「流れ星を見る」が、逆に浮いていて恥ずかしかった。

でも、書くと少しだけ自分の行動が変わるのを実感した。真面目で完璧主義のわたしは書いたことを叶えたくなった。まずは「行動さえ起こせば叶えられること」から叶えるべく、駅前のカフェに行ったし、苺のパック独り占めもした。そうやってずっとなんとなく「やりたいなぁ」と思っていたことを行動に移した瞬間「これはちょっと楽しいかも」と思い始めた。

とはいっても、そんなふうに書いたことを一生懸命実践したのは精々最初の2週間程度だった。ノートは忙しない日々の中で本棚の端っこに追いやられてしまった。

ノートを開くときに気付いた。書いたことは、案外叶っていた

次にノートを開いたのは数ヶ月後、何もやる気が起きない週末にふと思い出したときだった。そうすると案外、書いたことが叶っていたことに驚いた。気になっていた新作映画も観に行ったし、スニーカーを新調して散歩に行った。偶然だったけど流れ星も見た。

こうして2回目の「これはちょっと楽しいかも」を感じたわたしは、次の年も正月のバタバタが落ち着いた頃に「叶えたいこと」を100個書いた。前の年に叶わなかったことも、これから叶えたいことも、つらつらと書き連ねる。そして、最初の年と同じようにしばらく行動的になって、すぐに飽きてノートをしまい込んだ。ときどき開いては「叶ったこと」にマルをつけた。次の年も同じようにした。

そんなわたしに、今年とある事件が起きた。就職したときから乗っていた愛車を、思いっきりガードレールに擦り付けてしまったのだ。怪我をしたり、他人に怪我をさせたりしなかったのは不幸中の幸いだった。しかし、どこに行くにも一緒だった車には大きな傷が残ってしまい、修理をするか、買い替えるかの決断を迫られた。

本音を言えば、中古で買ってあちこちガタを感じていたのでこの事故の前から買い替えたいと思っていた。でも、そんな大きな買い物、こんなきっかけで決めてしまって良いのかなあ。車屋でもらった見積もりとにらめっこして悩んでいたときにふと「そういえば『車を買う』ってあのノートに書いたよなぁ」と思い出した。

久しぶりにノートを開いて「車を買う」の文字を探す。やっぱり書いてある。遡ってみると、去年も一昨年も、このノートに「叶えたいこと」を書き始めてから毎回「車を買う」と書いてあった。あぁ、今決断すれば、何年も前からずっと叶えたいと思っていたことが一つ叶うんだ。そう思うとぐっと背中を押された気持ちになった。

優柔不断でネガティブなわたしの背中を押してくれる「ノート」

そしてわたしは次の週末、車の契約書に印鑑を捺した。最初の車は親の名義での契約だったので、名実共に自分の車を手に入れたのはこれが初めてだった。すごい、わたしでも車って買えるんだ。今までにないくらい、自分の人生に自信を持てた瞬間だった。

優柔不断でネガティブ。それがわたしの性格だ。あれがしたい、これが欲しいと思っていても、失敗が怖くてなかなか行動に移せない。

でも、一年に一度くらいは少し前向きにやりたいことや欲しいもののことを目一杯考えてみる。もしかしたら、この先大きな決断を迫られたとき、このノートに綴った過去の自分の「叶えたいこと」にまた背中を押してもらえる日がくるかもしれないから。