お昼ごろから、今夜は何を作ろうか?と考え始め、冷蔵庫の中身を眺めながら吟味する。豚肉があるからキムチを買って豚肉のキムチ炒めにしよう、とか、挽肉と玉ねぎがあるからタコライスにしよう、とか、そういう感じで決めている。一汁一菜が基本で、というのも、6帖もないぐらいの一人暮らし用のキッチンなので、ガスコンロが一台しかなく、毎日何種類ものおかずを作るなんてことは私にはハードルが高いからだ。汁物を作って、おかずを一品作るので精一杯である。そのぶん、汁物として作る味噌汁やスープにはたくさんの旬の野菜を用意するようにしている。
どれだけ忙しくても妥協を許さず食事を用意してくれた母
毎日のように料理を作るようになったのは、大学を卒業して一人暮らしをするようになってからだった。母親の手の届かない、できるだけ遠いところに行きたいと思ってまずは東京に出た。彼女との関係は常に複雑なものだったが、感謝していることがひとつもないと言ってしまったら嘘になるだろう。
私が生まれる前から猛烈に働き続けていた彼女は、外での仕事と同じように料理にも妥協を許さなかった。食卓の上には、色とりどりのおかずがいくつも並んでいたのを憶えている。彼女が幼いころ、食べるのに苦労した経験があったからかもしれない。祖母があまり料理上手ではなかったからかもしれない。美味しいものを食べたいし、食べさせたいという思いが誰よりも強い人であった。
その結果、子どもながらに、私の身体は自然とそれぞれの素材の味を憶えていった。それが影響していたのか、中学や高校の頃に持たせてもらっていたお弁当の中に冷凍食品を発見すると、私は時々それを残すようになった。その中でも特に、冷凍餃子が嫌いだった。お弁当を開けてふにゃふにゃになった茶色い冷凍餃子を見つけると端によけていたぐらい、あまり好きではなかった。なんというか、あの加工された味が苦手で、家で手作りした餃子とは全く別物の味がするのだ。だから今でも冷凍食品やインスタントラーメンはほとんど買うことはない。
どんなことがあっても料理をしている時は無心になれる
となると、毎日生きていくためには、最低限自分で作るしか方法がない。そして、自分で一日、二日、三日、四日・・・と作っていくと、私は料理が好きらしいということに気づいた。最近では、「比較的誰にでも可能で、身近でできる最もクリエイティブなことなのではないか」とさえ思うようになった。確かに、自分で作らなくても、スーパーやコンビニにはたくさんのお惣菜が並んでいるし、それで手軽に済ませることだっていくらでもできる。
でも、実際にやってみると分かるけれども、料理をしている時間は意外と楽しめるものだ。
どちらかというと、私は肉や野菜を切ったり煮込んだりしている時の音が好きなのかもしれない。どんなに腹が立つことや悲しいことがあったとしても、料理をしている間は無心になれるし、なにより赤や緑の食材たちが美味しそうに変貌を遂げていく姿を眺めるのは実に面白い。(私の場合、怒りながら作るとだいたい塩辛くなりがちなので気をつけたい)
私にとって、食べることは作ること、作ることは生きること、なのかもしれない。
「ちゃんと食べてるの?」料理が母との共通言語に
母親が私に連絡をよこすとき、ちゃんと食べているのか、決まって聞かれる。その度に、私は最近作ったものの話をする。私が”ちゃんと”料理をしていることを知ると、「それなら良いけど」と彼女は言う。料理の話をしている時だけはお互いに一歩引くことができる。越えてはならないラインをクロスすることなく、穏やかな口調で話すことができる。料理はいつの間にか私たちの共通言語になったようだ。