私は昔、"リーダー"というポジションに異常なほどに執着していた。仕切りたがり屋だったわけじゃない。ただ単純に、自分のコンプレックスを隠したかっただけ。私はずっと、言葉に自信が無かった。考えや思いを、自分の言葉で正確に表現するのが極端に苦手だった。

「魅力的な話し方になる!」みたいな帯がついた本を片っ端から読んで、マーカーを引いて、書かれていることをそのまま真似したらなんだか話が上手くなったような気がした。体育館のステージに立って、マイクを持って単純明快にハキハキと話せば、当たり前の状況だけれど皆がこちらを見上げて拍手をした。

リーダーとして空気を読む技術が私の居場所を作ってくれた

少々歪んだり欠けたりしていた家族の形がいつかボロボロと崩れてしまうんじゃないかと日々恐れていた私は、その場の空気を瞬時に読むという技術を習得していた。だからか、リーダーとして「何を言うのが正解か」を判断するのは容易かった。皆さんはどう思いますか?とたずねて、まとめて、皆の声になる。それだけで周りから感謝される。そこに私の言葉は必要ない。空気を読むことだけが取り柄だった私にとって、こんなにも心地のいい居場所は他に無かった。

「何を言っているのか分からない」と言われるときは本音で話しているときで、「分かりやすい」と褒められる時はリーダーとしてその場の正解を言っているとき。正解の私の方ばかりを人様にお見せするようになり、のんびりぼんやりと喋る何を言っているのか誰にも分かってもらえない私は、心の端っこに隠した。

役割を演じてきた代償に自分の言葉を失った

自分で自分の首を締めているのかもしれないと気付いた頃にはすでに、自分の言葉で話すということに大きな恐怖を抱いていた。怖くなればなるほど、その恐怖をかき消すように私はマイクを片手に正しさを叫ぶようになって。そんな生活を長らく続け、締めれるだけ首を締め続けた結果、とうとう昨年の夏に声が出なくなった。

いま何をしたいの、誰が好きなの、死にたいの、生きたいの。胸元まで這い上がってきた思いはどれも声にはならずに、話すことを喉が拒絶していた。息苦しくなったら、本か映画か音楽に頼ったりして自分の思いを代弁してくれる媒体を必死で探した。慰めにはなったけれど、代弁はどれもしてくれなかった。

妖怪・誰か私を分かってくれよ女、と化した私は「声が出ないなら文字を書けばいいじゃないの」という事に気付き、当時好きだった人に本音だらけの長文メールを半ばヤケクソで一方的に送りつけた。

「自分の言葉を失わないで」彼の返信がもう一度言葉に向き合わせた

重たい女だと嫌われても構わないと当時は思っていたし、いま冷静に考えると相当迷惑な事をしたなと思うけれど「いつかもう一度あなたの声が聞きたいです。どうか自分の言葉を失わないで下さい。」という彼からの返信は予想以上に丁寧なものだった。彼は普段、面と向かって話すと何を言いたいのかが分かりにくくて、けれど鮮やかで饒舌な文章を書く人だった。もしかしたら、彼も自分の言葉を失いそうになったことがあるのかもしれない。

声が出なくなってから約三か月後、私はその返信を受けてひそかにリハビリを始めた。詩と短歌と小説と日記とTwitterで、自分の思いを丁寧に並べる練習。エッセイもその頃に書き始めた。書くことは声を出すことの何倍も難しかったけれど、怖くはなかった。言葉を失わないで、と言ってくれる人がこの世にいると言うことが小さな希望だったから。リハビリを始めてからほどなくして、ポツポツとではあるが声を出せるようになり、現在は日常会話も静かになら出来る。小手先の話術より、空気を読んだ正解より、自分の言葉を。

話し上手でリーダー気質の私は過労で姿を完全に潜めてしまっていて以来、一度も表に出てきてはくれない。けれど、これでいいのだと思う。今はのんびりぼんやりとしか話せないけれど、上手な文章は書けないけれど、「自分の言葉を失わないで」と自分の言葉でこうやって誰かに伝えられるのならば、十分だと思う。