私は今まで自分の声を無視して生きてきた。他人の目や意見、世間の常識、社会のしがらみ、そんなものばかりにアンテナを張って、それが自分の声だと信じて生きていた。だから、自分が何を感じて、何が好きで、何がしたいのかということに鈍感になっていた。社会に出るまではその生き方でも特に不自由なく過ごせていたが、大学を卒業して一歩外に出てみると、生きづらさばかりが目についた。それはそうだ、社会が求めるものは、自分の考えを出すこと。そして、自分の意見がないものは他人の意見に飲まれていく。自分の頭で考えたこともなく、他人の考えを引用してきた人間にはハードルの高いものだった。

何を食べようか選びながら気付いた「自分の声、ちゃんと聞けてる」

毎日職場での人間関係に悩み、仕事の不出来に自分を責め、ズタボロで家に帰る日々。私は人生に行き詰まった。周りの声で生きている私は自分の事を信じられず、ますます自分の声を聞く感覚から遠ざかっていった。

そんな私の唯一の楽しみが晩御飯だった。職場からの帰り道、スーパーに並ぶお惣菜を見ながら、今日は何を食べたい気分かな?と考えて選び、自宅に帰ってそれを頬張る時間が何よりも幸せだった。食べることが大好きな私にとって、自分が好きなものを食べるということは日々の頑張りへのささやかなご褒美だった。そこで私はあることに気づく。自分の声、ちゃんと聞けてる。これを食べたら太るとか、これを食べると肌に悪いとかそんな世間の常識なんて気にせず、自分の感覚に従って選んでいた晩御飯。無意識にしていた行動だったが、それは自分の声を信じて自分が喜ぶものを体内に取り入れるという行動だった。そして、自分の声に耳を傾けることができていたからこそ、晩御飯の時間が何よりも特別で幸せなものになっていたのだった。自分の声を聞くというのは、自分を幸せにする力を持っていたのだ。

自分の声は自分に必要なものを教えてくれる

それに気づいてからは、晩御飯以外にも自分が口に入れるものは、なるべく直感で食べたいものを選ぶようにした。炭水化物が無性に食べたいときは、エネルギーを使いすぎた。甘いものが無性に食べたいときは、頑張りすぎた。直感は、体がその食べ物にある栄養素を欲しているサインだと思うと、どんな食べ物でも罪悪感なく、なおかつ自分を労いながら口に入れることができた。直感で食べ物を選ぶ感覚に慣れてきたら、食べる量も自分によく問いかけて決めた。今日はそんなにお腹が空いてないから主食はいらないかな。このお菓子は途中で飽きそうだから半分だけにしておこう。

そんなことをしていると、今まで食べていた量が自分の胃のキャパをオーバーしていたことに気づく。常に食べすぎていたのだ。自分の声に従って食事をとると、好きなものを食べているのに、食事制限をしていたときよりもストンと痩せることができた。本当に体が必要としているものだけを必要とする分だけ体内に取り込んでいるからだろう。

自分で自分を幸せにできたら、自己肯定感が上がった

食事をきっかけに聞くようになった自分の声。自分の声を聞く感覚を大切にすることは、自分に従う、素直になることである。それは、本来自分が求めていることを自分で与えるということなので自愛に繋がる。そしてささやかな幸せや喜びを手にすることができる。今日もやっぱり職場での人間関係はうまくいかない、仕事もやっぱりミスをしてしまった。だけど少し変わったのは、他人の力でしか幸せを作り出せなかった人間が、自分の手で自分を幸せにする術を見つけた。私は自分の力で幸せを作り出せる。ちょっとだけ自分を信じられるようになった私は、勇気を出して苦手な職場の先輩に声をかけてみる。相談に乗ってもらえた、話してみるとそんなにとっつきにくい人ではなかった。小さな一歩を踏み出せた今日は自分にとって記念日だ。帰り道、ケーキでも買って帰ろうかな。