「”私を”認めて」を願った朝。
「”私を”足らせて」を走った昼。
「”私を”信じて」を綴った夜。
それから1年と3ヶ月が過ぎ、私は”私を”失った。
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「私は、何者なのだろう?」
「私は、何がしたいのだろう?」
「私は、、、」
就職活動をひとことで言えば、
「私は、を探す旅」であろう。
「私は」を探すとき
私は私に問いかけて
私は友に問いかけて
そして”社会”に問いかけた。
授業中も、寝る前も、電車の中でも探す旅に出た。
旅は、道に迷えど順調で
何度も社会に問いかけたもんだから
”社会”は褒美を何度もくれた。
「素晴らしいね、君は必ず活躍するよ」
「どうしたらそんないい子が育つんだろね」
”社会”とは、答えれば答えてくれるものだと知った。
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努力して手に入れたものを武器に臨む、人生テストの答え合わせ
”社会”が心地よかったのは、私が優等生だからだろう。
親孝行な学歴・それなりの行動力・中の上にはなりそうな見た目が味方になる。
3拍子の武器たちは
才能ではない。
努力が生んだものだと自負があるのだと。
傲慢にも、切ない自負。
武器を育てた「”私を”褒めて」
武器を使える「”私を”認めて」
就職活動は、いつの間に、私の人生テストの答え合わせの時間になったのだろう。
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「正解なんてない、自分で正解にするんだ」
”社会”で流行の言葉だそうで
呪文のように、何度も聞いた。
「ぴえん」と言えば「若者」との布石が貰えるように
「正解にする」と言えば「内定」との勲章が貰えるような
切り札のようなものだった。
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内定は社会から求められるように整理して自分を魅せる芸術
切り札といえば、パワーワードになるけれど
就職活動というものは、世間で言われているようにそこまで難しいものではないと思う。
内定は、”社会”から求められるように整理した自分の軸を、”社会”で活躍できそうなコミュニケーションで、魅せる芸術と思えばいい。
「”社会”が求めるものに、合わせて貰う内定は、ニセの私の掴む内定だ」
頭の片隅から聞こえてくるその声は
無視して引き剥がすのが正解だった。
その正解を正解にするかのように
私はまた、”社会”に問いかける。
「”社会”に足りない自分は何か?」
「”社会”に満足な自分になりたい」
懇願すると、答えは貰える。
「正解なんてない、自分で正解にするんだ」
この言葉は
「一度”社会”に求められる正解、に合わせた自分の邪念に、惑わされずに進むことだ。」
と私は学習した。
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学習した私は、示しはじめた。
「私に内定出したのは正解だよ」
「私のことを、信じてね」
とはいえ自己主張は小さくするのが日本人の美徳なので
小さく小さく、どこかで気づいてもらえるように
小さく小さく、誰にも気づかれないように。
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私は私を失ったけれど、私を認めて信じてあげることが出来る
それから1年と3ヶ月が過ぎ
私は”私を”失った。
「認めて」と願う私を
「足らせて」と走る私を
「信じて」と綴る私を
失った。
失った私は、
”社会”から見たら
可哀想な子猫かもしれない。
”社会”から見たら
正解にできない無責任野郎かもしれない。
だけど
私が認めよう。
私が満たしてあげられるし
私が信じてあげられる。
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1年と3ヶ月前の私に
ひとつ贈り物をできるなら
「”社会”はひとつじゃないんだよ」
と、愛の切符1枚をあげよう。