痩せることで認められようとした過去。食べて「生きる」を始めた今

思いどおりに行かない人生、ダイエットをすることで自分を保っていた。
食べることを我慢して、スリムな体型でいれば、努力賞がもらえると思っていた。
そんなことはなかった。
食べないは、生きないという意味だった。
体も頭もうまく動かなくなって、入院した。
なんで食べなかったのか。
食べることは悪いことだと、心のどこかで思っていた。
父と母は仲が悪く、母は体格のよかった父のことを、
「よく食べるやつ」と愚痴っていた。
たくさん食べて太るのは、良くないことなんだ。
食べるのを我慢して、スリムでいれば、褒めてもらえるんだ。
そんな価値観が小さい頃に芽生えたようだ。
新卒で入った会社はとても忙しく、失敗もたくさんした。
めちゃくちゃに頑張った。同期の誰より頑張った。
それでも、失敗はする。うまくいかないこともある。
自分はダメなのかもしれない。
きっと誰も自分を評価してくれない。
そうだ。せめて痩せていれば、努力しているように見られるかも。
こじれた思考で頑張ったダイエットで、結局体を壊した。
病院では、サバの味噌煮や、豚肉炒め、白いお米や食パンを食べた。
太るのが怖くて最初は食べたくなかったけれど、
徐々に食べられるようになった。
慣れてくると、ああ、こんな食べ物もあったなあと、
一品一品をかみしめるようになった。
どれもこれも懐かしい味がした。
元気に食べて生きていたころの記憶がよみがえった。
入院していると、みんなが面会に来てくれた。
元気になってほしいと思ってくれている人が、私にもいたようだ。
ダイエットを頑張っている私じゃなくても、生きていていいんだ。
病院を出たら、もう一度生きてみよう。
退院後、食べることを始めた。
おっかなびっくり、クロワッサンとサラダを朝食にした。
ふわっと香るバターに、サクサクした食感のクロワッサン。新鮮な野菜にはドレッシングのオイルが良く絡んでいた。
こんなおいしいものを食べられなかったなんて、損な人生だ。
おいしく食べたものを母に報告したら、喜んでくれた。
食べないで痩せている私より、食べて元気にしている私の方がいいようだ。
嬉しそうにしている私を、みんなが見守ってくれた。
食べていい。生きていい。なんだか元気がでてきた。
食べなかったことで、失ったもの、取り戻せないものもある。
例えば友人と過ごす楽しい時間。
ランチや飲み会は断っていたし、遊びに行くよりも
痩せるための運動に時間を費やした。ずっと独りだった。
せっかく新卒で入った会社も、辞めてしまった。
その後も体力がなくて仕事ができなかった。
当時の私が本当に大切にするべきだったのは、
スリムな体型ではなく、
人や社会とのつながりだったのに。
ダイエットで失ってしまったことは、取り戻せない。
でも、また始めることはできる。
食べるようになったら体が元気になってきた。
頭も動いて、笑えるようにもなった。
当たり前のことに気がつくのに、時間がかかってしまったけれど、
食べることは生きることだ。
今も、順調にいくことばかりではない。
時々生きるのが嫌になると、食べることが嫌になることもある。
でも負けない。
これからも食べて、生きて、笑っていこう。
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