日本人って、他の国の人たちに比べて、血液型へのこだわりがすごく強いと思う。
A型だと聞けば、「この人は几帳面なんだ」と思うし、O型だと聞けば、「この人はおおらかなんだ」と思う。
AB型は変わり者だと言われているし、B型はわがままでなんとなく性格の悪いイメージ。
実際に、今までの人生で何度か「自分はB型と仲良くなれた試しがない」という人に出会ってきた。それくらい、日本人にとってのB型の印象って悪い気がする。
それをふまえて打ち明けると、わたしの母は、B型がすごく嫌いである。
そして、そんな母の娘であるわたしはB型なのだ。
私だけ母の嫌いな血液型。どうしてもO型になりたかった
母がB型嫌いになった理由として、いつも「B型と仲良くなれたことがない」「B型はいつも自己中だ」「最低だったお前の父親がB型だった」。
こう聞かされて育った。
少しでも「B型っぽい」行動をすると、「B型っぽくなるな」と怒られた。
そうして、いつしかわたしは、自分の血液型を人に言えなくなった。
「血液型なに?」と聞かれると、わたしは決まって「わからないんだ」と答えた。
そうすると、みんながわたしの血液型を予想し始める。B型以外で予想される度に、誇らしい気持ちになった。
しかし、そうするのにもなんだか疲れてきて、次第に「O型だよ」と答えるようになると、それを聞いた周りの人は「たしかにO型っぽいね!」とか、「おおらかで優しいもんね!」と言った。
わたしはO型になりたかった。
母も妹もおばあちゃんもおじいちゃんも、おじさんも、わたしの家族はみんなO型で、わたしだけB型だった。
自分の血を抜いて、全部変えたかった。
自分がB型であることを恨んでいた。
私は本当にO型になりたくて仕方がなかったのだ。
気づけば膨らんでしまった秘密を消してくれた友人との会話
しかし、成長していくなかで、外国では血液型にここまで重きを置かないということを知った。血液型占いとかに全く興味を示さない友達ができた。
そのとき初めて、友達に「わたしはB型だ」と、大きく膨らんだ秘密を打ち明けた。
怖くて仕方なかった。
「あぁ、だからあなたはそんなにわがままなんだ」
「私、B型の人とは仲良くなれないんだよね」
なんて言われるのが怖かった。
でも、返ってきた答えは「へぇそうなんだ」となんでもないかのように、他の会話が始まった。
あのとき、本当に拍子抜けしたが、わたしは今でもその友人に感謝している。
あれから数年経って、あの時よりもっと広い世界を見て、たくさんの人に出会った。
気付いたことは、人は血液型なんかじゃ測れないということだ。
当たり前ではあるのだが、わたしの中で血液型への偏見や固定概念は、信じられないほど大きく膨らんでしまっていたらしい。
あなたはあなた。血液型はあなた自身を決めるものではない
もし、このエッセイを読んでくれているあなたがB型だとしたら、どうか悲しくなったり、怒ったりしないでほしい。
わたしが伝えたいことは、あなたの血液型がなにであっても、あなたの考え方・価値観や性格は、あなたの過去、あなたの周りの人間関係、その全てが混ざり合って構築される。
血液型がなにであっても、わたしはわたしだし、あなたはあなたなのだ。
わたしはそれに気づくまでに10年以上かかってしまったが、どうかあなたは、誰かと出会ったときに「血液型」というフィルターを通さずにその誰かを見てあげてほしい。
わたしはわたしなのだ。
そして、これから先に、血液型を聞かれたとき、きっとわたしはこう答える。
「B型だよ」と。