金網によって塞がれたその穴を覗いてみる。
そこまでの深さはないのに、吸い込まれそうな闇に背筋を走る何かを感じる。
その穴の前に立って想像してみる。
小学生だったという祖母の姿と、何も知らないような顔をしているこの空に、アメリカの飛行機が飛んでいる様子を。
「防空壕」祖母の口から出たその言葉は禍々しい雰囲気を纏っていた
久しぶりの晴れだった。今年は梅雨が長くて嫌だ、早く晴れ間が見たい、などと散々思っていたのに、いざ肌が焼かれるような強い日差しを目の当たりにするとうんざりした。
訳あって祖父母の家に住んでいた。しょうもない訳なので説明はしない。自然に溢れたこの場所で生活するのは気持ちがいいし、学校も休みなので毎日が穏やかだ。やることと言えば読書、スマホ、車で三十分ほどかかる最寄りのスーパーへの運転くらいである。今日はそのどれにも当てはまらない、「お薬師さんへのお参りの付き添い」を行っていた。
通信制の高校の駐車場に車を停めて、急な勾配の坂を登っていくとお薬師さんは居る。自分の仕事はおぼくさん(正式には御仏飯というらしい)を備える祖母の丸まった背中を見つめるだけ。
「この穴もイノシシが掘ったの?」
わたしは何気なく祖母に尋ねた。坂道の麓に、動物の住処のような大きな穴。かなり大きいものだが、金網で塞がれている。わたしはここを通るたびに、これが何なのか気になっていた。それなのに何故か、この穴が何なのかを尋ねたのは初めてのことだった。
イノシシが掘ったのかと尋ねた理由は、この辺りでは、イノシシが現れては農作物や草花を掘り返してしまうということがよくあったからだ。だからこの穴はそういった動物の住処ではないかと。
「それは防空壕だよ」
防空壕、という、祖母の口から飛び出た言葉は禍々しい雰囲気を纏っていた。えっ、と声を漏らしたわたしに構わず、祖母は続ける。
「アメリカの飛行機が来るとね、そこに入って隠れるんだよ。あの時は怖かったよお」
わたしは、今は背中の丸まったおばあちゃんになった祖母の少女の姿を想像した。
少女だった祖母の身近に、戦争があったのだ
以前、戦争が終わったときの年齢を祖父母に尋ねたことがある。祖父は小学六年生、祖母は小学四年生だったそうだ。今の私よりもうんと小さな祖父と祖母が、空から目を光らせるアメリカの飛行機に怯える姿が、いまひとつ上手く想像出来ない。
「空襲って、都会だけだと思ってた。東京とか、名古屋とか」
「ううん、この辺にも飛んできただよ。ここの地区は発電所があるから、見つかりやすいっていつも言われとった」
今度は、二十歳も過ぎた自分の戦争に関する知識の浅さに甚だ呆れることになる。戦争はもっと、身近なものなのだ。遠いお国で兵隊さんたちが戦っているだけではない。そんなこと、既に知っているはずなのに、こういうエピソードを耳にするたびに毎回痛感する自分がいる。
わたしの後ろをゆっくりと歩いていた祖母は、穴の前で立ち止まったわたしを追い抜いた。その背中は相変わらず小さくて丸まっているのに、何故か、わたしの知らない少女のときの片鱗が見えたような気がした。それにはっとなってわたしはもう一度祖母の少女の姿を想像するが、やはり上手くいかない。
空を見上げた。この空に、飛行機が。少女だった祖母の身近に、戦争が。
わたしたちが、戦争について、考えるように
その穴の正体を知って以来、わたしは度々少女だった祖母に思いを馳せる。その穴が塞がれることもなく、金網で封じられているのは、そういうことなのだろう。戦争を上手く想像できないわたしたちが、戦争が身近にあったあの時に想いを馳せるように。戦争について、考えるように。