目の前には、壁に貼られた世界地図があった。
しわしわの指が、日本と真珠湾をいったりきたりなぞるように、たまにアメリカ大陸に寄り道もする。
まるで、指が話しているみたいに。
わたしの視線は、しわしわの指からまっしろい壁に。
何度聞いたか分からない、何度目をそらしたか分からない。
隣にいる父にも、目の前にいる祖母にも、あの指は語りかけていない。
わたしに語りかけている、あのしわしわの指。

わたしが幼い頃に話してくれた、ひいじいちゃんが経験した「戦争」

わたしは、戦争を経験したことがない。でも、しわしわの指はわたしの知らない戦争を経験している。
だから、この指はしわしわなのだろうか。
あのしわしわの指を見ることができなくなってから、指が話していたことを何度思い出そうとしても、思い出せない。
思い出せるのは、世界地図の上にある、ぼんやりとしたしわしわの指だけ。
もっと真剣に聞いておけばよかった、もっとちゃんとじっと、あの指を見ておけばよかった。
でも幼かったわたしには、少し難しかった。

あの指は、わたしが知らないことをたくさん知っている。今なら、今のわたしなら、あの指の話を真剣に聞くことができる。
もう一度あの話を、今のわたしにしてみないかい、しわしわの指。

しわしわの指は、戦争の怖さも辛さも悲惨さも見てきたのか、戦争の後のしんどさも見てきたのか。
愛おしい人に再開する喜びも、命が戦争のない世界に生まれる喜びも、しわしわの指は知っている。

わたしの指は、戦争を経験することなくしわしわの指になっていけば…

わたしのひいじいちゃんは、戦争のとき、日本の船のコックさんだった。
しわしわの指は、船の乗組員の人たちに美味しい料理を作った指、生きたい一心で海を必死に泳いだ指、愛する人や自分の子を精一杯抱きしめた指、わたしに戦争というものを教えてくれようとした指。
わたしは、あの指に触れたことがあるだろうか、触れてもよかったのだろうか。
今は触れてみたいと思う。

今の日本では、ひいじいちゃんと同じしわしわの指は、あまり見かけない。
わたしの指も、戦争を経験したことのない指。
このまま戦争を経験することなくしわしわの指になっていけばいいな。
わたしの指が、ひいじいちゃんと同じしわしわの指になることを、ひいじいちゃんはきっと願っていないだろう。

もう一度、「戦争」を経験したひいじいちゃんと会うことができたら…

もう一度ひいじいちゃんに会えたら、ひいじいちゃんの手料理が食べたい。
船に乗っていたときに、ふるまっていた料理を食べてみたい。
しわしわの指は、わたしに戦争について教えてくれていたけど、手料理をふるまうことはなかった。

今度、あのしわしわの指に会うときは、手料理を楽しみにしておこう。
きっと、わたしの知らない味がすると思うのだ。