私には3つ下に妹がいます。
当たり前のことですが、妹がこの世に生を受けたその瞬間から私はずっと「お姉ちゃん」でした。
そして長女の宿命か?お姉ちゃんになって以来、母にかわいがられる妹のことをずっと「うらやましい」と思いながら大人になりました。
今でも実家に帰省すると、どうしたら妹と母のようになれるのか、ときどき考えてしまうことがあります。
妹のように、私も母から思われたかった
私が子供だった頃、激務だった父は忙しく、家事と2人の娘の子育ては母が一人で担ってくれました。
だけど母には「この子たちをしっかり育てなければ」というプレッシャーがあったそう。
余裕がなく、いつも気難しい顔をしていました。
だけど、小さな妹へむかう母のまなざしは優しいものでした。
妹の名前を呼ぶ母の声はあたたかく、愛情がこもっていました。
「一度でいいから、私もそんな風に母から思ってもらいたい」
言葉にならないさみしさが、心に影を落としました。
だけど「私はお姉ちゃんだもんね」「妹の方がかわいいのだから仕方ない」というあきらめが巣食い、母に直接伝えることはできませんでした。
母の思うお姉ちゃんでいられたら、私も母に愛してもらえるのでは
母は私に「しっかりした妹思いの優しいお姉ちゃん」であってほしいと願っていました。
私はその気持ちに応えたくて、幼いながらもあれこれ考え切磋琢磨した記憶があります。
それは母の思うお姉ちゃんでいられたら、私も母に愛してもらえるのではないかという淡い期待があったからです。
「明日はもっと心の優しい私になれますように。悪い私はさようなら」
そう思いながら、毎日お風呂でシャワーを浴びるのが当時の習慣でした。
だけど、その危うい動機からは何も得られず、私の心が満たされることはついにありませんでした。
大人になってからも母や妹と過ごしていると、コンプレックスを感じることがあります。
2人の間で結ばれた深い絆には、私など到底かなわない。
いつも蚊帳の外にいるような気持ちになってしまう。
鬱蒼としていく自分にはっとして、2人から目をそらしていたのです。
だけど・・・あるとき母がこんな話をしてくれました。
母なりに、私を気遣う思いを持ってくれていた
それは私と私の娘、母の3人でバス停までの道のりを歩いていたときのこと。
娘が私に抱っこをねだりました。
その姿を隣で見ていた母が、娘にふとこんなことを言ったのです。
「おばあちゃんはね、あなたのお母さんが4歳だったとき抱っこしてあげられなかったわ。もう〇〇ちゃん(私の妹)がいたからね。抱っこしてあげたかったけど、できなかったの」
母のつぶやきのようなその言葉が「ああ、そうだったんだ」と自分の心のうちに素直に響いていくのがわかりました。
母なりに、私を気遣う思いをずっと持ってくれていた。
私にはいつも優しくないと思っていたけど、心のうちでは「抱っこしてやりたい」と思ってくれていたんだな。
そう、しみじみ思わせてくれたのです。
私も愛されて育ってきた。
そのことを実感できた瞬間でした。
この言葉を聞いてから、以前ほどコンプレックスを感じることは少なくなりました。
母なりに私へ向けてくれている愛情もたくさんあるので、それを素直に受け取れる自分でありたいと思っています。