初夏になると街には、チラホラ半袖の白いワイシャツの学生が現れるようになる。
夏の匂いと共にあの白いワイシャツがとても空に映え、時々それがすごく眩しく、懐かしく思えるのだ。

高校生の頃、大好きだった白いワイシャツの夏服

私は、自分の高校の制服が嫌いだった。
なぜなら、黄色いワイシャツに茶色のチェック柄の長ーいスカートに、ぴっちりとした作りのベストを着こなすことができず、似合わない自分が惨めに思えたからだ。
その制服は他の学校よりも目立ち、どこの高校か一発で分かるくらいだった。
着たかった制服でもなかったし、着ても似合わない制服。
高校生だった私は、早く卒業して自由な服を着れる大学生になりたいと思っていた。
「こんな野暮ったい制服着て学校に行きたくない!!」
そんなことを毎朝着替えながら思っていたが、友達と一緒に「制服を改善して欲しい」と総会で訴えたのは懐かしい思い出だ。
しかし、黄色いワイシャツは夏になると白色に変わる。

そう、衣替えだ。

私は夏服の方がデザインが可愛くてとても好きだった。
白いワイシャツに黒のチェック柄のスカートに大変身。
都会的なお洒落な制服に。
冬服も夏服のデザインの方が、みんなも喜ぶと思うのに…。
そんなことを思いながら、秋まで私は白いワイシャツに袖を通し、少し良くなった制服で学校に通っていた。

私にとって、白いワイシャツを着た学生は無敵の存在

今、街で白いワイシャツを着た学生とすれ違うたびに私は懐かしい気持ちになる。
それと、同時にあの白いワイシャツを着ている彼らがやけに眩しく見えるのだ。

私は自由を手に入れ、好きな服を着れるようになった今、嬉しくて喜ばしくて、無敵なはずなのに。
あの半袖を着ている彼らの方が、何倍も無敵な存在に思えるのだ。
なぜなら彼らにあるものを私が失ってしまった気がしてしまうからだ。
それはもしかしたら“高校生”という、何をしても楽しいと思えた二度と戻らない時間かもしれないし、制服が眩しいくらい似合っている彼らへの嫉妬かもしれない。

半袖の白いワイシャツを見るたびに思うのだ。
「もう一度、制服を着たいな」と。

制服が似合っている学生を見ると、楽しかった青春がよみがえる

でも、もうそれは叶わない。
なぜなら、私は大人になったから。
たとえ今、白いワイシャツを着ても、高校生だった頃には戻れない。
勉強に追われながらも友達と放課後遊んだ時間や部活でたわいもないおしゃべりをした時間、受験で心が折れそうな時間、励まし合った時間、卒業間近に感じる少し切ない時間。
この高校生だった時間は二度と戻ってこない。
私はもう制服を着れないのだから。

だから制服の君達を見ると、時々嫉妬してしまう。
白い半袖のワイシャツと一緒に眩しさを感じる瞬間。
それは私にとって夏になった合図なのだ。