先日、別れた彼氏と運転中に信号待ちで車を並べた。
ただそれだけの話をする。

運転中、偶然にも忌まわしき4桁のナンバーを見つけた

私は普段から、周囲の車のことを注意深く意識しない。
その日は偶然にもナンバーに目が止まった。忌まわしき4桁の数字。わたしにしちゃあ、
縁起が悪いと言われる666よりも怖い数字だった。

偶然、目に入ったのではないのかもしれない。

時計を見たとき、時刻がゾロ目になっていることがある。でもあれは本当に偶々ゾロ目の時間を見ているのではなく、ゾロ目になった時間を見たときにだけ意識が行ってしまうからなのだそう。

私も同じ。普段から人の車のナンバーはきっと見ていて、あの4桁だから、目に止まった。ここにそれを修正しておく。

ナンバーを見た瞬間、「やっば」とつぶやいた私であったが(何がやばいのかはわからないが、この時、咄嗟に出てしまう言葉がこれだったのである)、もっとやばいのは右折しようと進行した先で信号が黄色から赤に変わるところであったことだ。完全に私の心である。やっばい。

普段の私なら間違いなく停止していたはず。でもここで停止すれば、左車線で停止していた彼と車を並べることになってしまう。気づけばアクセル全開で踏み込み、スレスレ右折していた。どうしてこの時間にここにいるの。土曜日の夜はフットサルに行っているんじゃないの。なんで、なんで。そんな思考が堂々巡り。私の心は乱れに乱れ、そこから家までの記憶は、ない。

穏やかに笑って過ごす。そんないい子でいれば、選ばれると信じた

彼とは、マッチングアプリで知り合った。

私史上、最強の大和撫子を演じた。波風を立てるようなことは一切言わない、<いい子>な恋愛をした。
初めてマッチングアプリで実際に会った相手であること、身長がちょうど15センチ差であること、兄弟がともに4人いること。そんなささいなことに、運命を感じた。

そんな彼に、たった3ヶ月で冷めたと振られた。好きになりかけで付き合ってしまったと、ご丁寧に契約解除理由まで付け加えられて。

私は24歳。一つしか違わない兄が結婚した今、完全に「あ、この人だ」とロックオン。
普段から、人から受けた相談にはあーだこーだと上から目線のアドバイスを吐き出す私の目は見事に、誕生日にもらった薔薇の花によって盲目となった。

生まれて初めて、車の中でされたキス。この人がいいのか、この人でいいのかわからないまま、体は熱を帯びた。今何時かと聞けば、スマホが目の前にあるのにも関わらず、わざわざ袖をまくって時計を見るところが、たまらなく好きだった。

彼が何をしても、彼に何を言われても、穏やかに笑って過ごす。そんないい子でいれば、選ばれると信じた。まさに恋に恋した典型例。今まで学生時代にしてきた、暴走機関車のような恋のほうがよっぽど人間らしかったんだろう。結果、三ヶ月で飽きられてしまう、<おもんない女>の烙印を押され、私の恋は終わった。

今回の不本意な再会の意味が見いだせない

私は、人生のすべての出来事に意味があると信じたい。だから、この恋の終わりにもきっと意味があると信じている。しかし、今回の不本意な再会の意味が見いだせない。どう考えても見いだせない。ただただ、心は乱され、無気力になった。行き場のない悲しみ、虚しさに襲われた。必死に立ち直ろうと、わざと忙しくしていた生活が、<ふりだしに戻った>感じ。

彼との恋愛で、たくさん無理をした。足がつるほど、背伸びをした。苦しいばかりの恋だった。それでも、それでも彼のことが大好きだった。別れてからは、考えまい、考えまいと、気持ちに蓋をしなければ、元気に立っていられなかった。

そうやって、努めて抑えてきた気持ちが、思わずどっと溢れてしまいそうだった。

これは神様が与えた心の筋トレ?これから先、再会するたびに同じ思いをしなければならないのか。そんな筋トレ、本当に自分のためになるのだろうか。

ふと、犬のうんこを踏んだことを思い出した。ぬるりとした足の感触、まさかと思い、そのまさかが的中したときの絶望感。え、これ、一緒じゃない?わたし、犬のうんこ踏んだんじゃない?我ながら、本当に馬鹿げたことを思い出したものだ。思わず笑ってしまった。

再会の意味はきっとなくて、犬のうんこを踏んだだけ

再会したこと、その意味はきっとどこにもないのだ。考えても、悩んでもどうしようもないことなのだと。ただ、そこにうんこがあって、それを私が踏んだだけ。人生にはきっと、そんなどうしようもないことがたくさんあるのだろう。

かつてうんこを踏んだとき、私は落ち込んだだろうか。きっとあのとき、次の日教室で友たちに笑って話した気がするな。

私はきっとこれからも、人生の中で何度もうんこを踏むのだろう。行き場のないやりきれなさに襲われ、ひとしきり落ち込んでは、糞にまみれた靴を洗うのだ。
犬のうんこ。それがなんだ、何度だって洗って、同じ靴を履きつぶしてやる。今はそうやって、強がることで自分を、自分の心を、守らせてほしい。

とりあえずは、今回踏んでしまったうんこに向けてお別れを言いたい。そうだ、別れる前に読んでいた、太宰治のとある小説のお言葉でも真似て。

わたし、どこにいるか、ご存知ですか?もう、ふたたびお目にかかりません。