戦争の側面しか知らないわたしと、知っているあの子が向けた眼差し

「戦争」でわたしがいつも思い出すのは、ともだち2人の「目」だ。
1人目は中国から来た女の子、Aちゃん。大学に入ったばかりの頃、私は大学のプログラムの一環で、中国や韓国からの留学生たちと一緒に、長崎市にある「岡まさはる記念 長崎平和資料館」に行った。太平洋戦争中、日本軍がアジアで行った加害の歴史を伝える民営の資料館だった。

中には、切り落とした中国人の首を手に笑みを浮かべる日本兵や、焼き殺された母と子が抱き合ったまま骨になった写真などがあった。広島や長崎の原爆のことは知っていても、当時の日本がアジアで何をしていたかを全く知らなかった私はショックでぼうぜんとした。ふと横を見たらAちゃんがいた。何も言えず、泣きそうな顔をしていた私を見て、Aちゃんはうんうん、と頷いた。

私ははっとした。
Aちゃんはこのことを知っている。当たり前だ。私たちが学校で原爆を必ず習うのと同じように、Aちゃんはこの歴史を学んでいる。知らなかったのは私だけ。固まる私を見ても、Aちゃんは何も言わなかった。「辛いよね」という同情のきもちを目にいっぱいたたえてこっちを見ていた。

それを見て、今度は頭をがつんと殴られたような気がした。Aちゃんは私を責めなかった。「何で知らないの。やったのはあなたのおじいさんたちの世代だよ」と言われてもおかしくなかった。Aちゃんが実際、そのときどう思っていたのかは聞いていない。でも私は、あのときのAちゃんの優しい目がその後ずっと忘れられなかった。

散歩中に尋ねられた質問と彼のまっすぐな目を見て気づいた大事なこと

もう1人は、その後留学したフィリピンで同じクラスになったBだ。
くりっとした目のフィリピン人の男の子で、「貧しい人のためにいずれは国のリーダーになって働きたい」ときらきらした目で語っていた。私なら謎に照れてしまって言えないようなことを、堂々と言う姿がいつもまぶしかった。
ある日、大学構内をぶらぶら一緒に歩いていると、Bが急に言った。「戦争の時、この坂道で、殺されたフィリピン人の遺体を日本兵が転がしてたのを知ってる?」。私は固まった。

日本がフィリピンを統治した時、日本兵がたくさんのフィリピン人女性をレイプし、赤ちゃんも老人も殺したことを知ってはいた。でも、この大学で起こったことは知らなかった。まただ、と思った。
授業の課題を一緒にやったり、何でもないことを話して、できつつあったBとの関係はどうなってしまうんだろう。

表情がどんどんくもる私を見た彼は慌てて言った。「僕は日本のアニメが大好きだよ。僕たちは友だちだし、これから新しい未来を一緒につくっていく。本当だよ」。いつもの真っすぐな目で言った。そこにはAちゃんと同じように、私への嫌悪はないように見えた。それでも「知ってる?」と何度も尋ねてきたBの様子を見て、さすがの私もはっきり悟った。戦時中の行為は私がしたことではないから、私に罪はない。でも、知っているかどうかは、AやBと私の間の友情を続かせる上で大事なことなんだと。

戦争を忘れないこと、知ることは隣にいる誰かとの関係につながる 

考えてみれば当たり前のことだ。
私だって、日本に原爆を落としたことを知らないアメリカ人に会ったら腹が立つと思う。今も被爆の後遺症で苦しむ人がたくさんいるのを知っているから。
されたことは忘れないし、悲しい記憶は親から子へ語り継がれたり、教育を通じてずっと残る。隣にいる誰かと関係を深めるには、知るべきことはたくさんあるはずだ。
何年たっても戦争は終わったものではないと、友達2人が教えてくれた。