私の居場所はずっとここにあって、ただ、私が見失っていただけだった

大学を卒業するまで、ずっと実家暮らしだった。
ありきたりだが東京に憧れて就職とともに上京した。
ついでにいうと当時好きだった人が東京にいたというのも少なからずある。
(母には決して言わなかったが、、、)
そしてありきたりだが、東京になじめず恋愛もうまくいかず
生まれ育った街に帰ってきた。
東京は水が合わなかったが一人暮らしは性に合っていた。
なのでこちらに帰ってきてからも実家には戻らず部屋を借りた。
給料が以前よりも下がり、かつかつだったが、自分なりに満足した生活を手に入れた。
一番のわがままといえば、実家から自転車で10分ほどのところに住んでいるということだろうか。
そんな暮らしをはじめて気が付けば4年たつ。
戻ってきたときは独身だった友達も身を固めていき、
最近は後輩からの結婚、出産報告も多い。
へらへらしているが内心は複雑な気持ちいっぱいで
心からお祝いできない自分が醜く嫌になる。
異常気象のような長い雨があけ、
夏らしいめまいのするような、日が突き刺す日曜日だった。
母からの小言も多くなり居心地の悪さを感じながらも実家のソファーで寝ていると
家の外が騒がしくきこえた。
ジャージにつっかけ、寝ぐせのついた髪で表に出ると
ビニールプールではしゃいでいる親子がいた。
母である彼女は私の幼馴染で、私たちの実家は隣同士だった。
友達の中でも一番に早く結婚した彼女。
中学生のころに家が隣だからって二階の窓から屋根を伝って帰っていた彼女は
いま二児の母をしている。
昔の彼女とおんなじ顔をして私の名前を呼ぶのは3歳の長女。
びしょぬれになって「遊ぼう!」とそろって声をかけてくる彼女たちに
思わず笑みがこぼれた。
ひとしきり遊んだ後、友達のお母さん(いまは“ばあば”とよばれている)にもらった麦茶を飲みながら休憩していると
友達の弟夫婦がちょうど帰ってきた。
彼らも後輩にあたるのでよく知った仲だ。
そうこうしていると私のお母さんや犬たちもでてきて、みんな思い思いに好き勝手しゃべりだした。
私は地元の方言が飛びかう無秩序なこの空間がなんだか懐かしく愛おしく感じた。
私たちは大人になったと思っていた。
大学を卒業し社会人になり、責任のある仕事を任されるようになった。
結婚し、親になった友達は少女ではないと思っていた。
もう独立した存在のはずだった。
しかしこの家の前では私たちは昔の、ただの無邪気だった私たちに戻る。
大人にならなければならないと、ずっと自分にプレッシャーをかけていた。
結婚して子供を産まなければ社会に認められないと、どこかで自分を責めていた。
でもお母さんからしたら私はずっと子供だし、子供を持った彼女はずっと私の友達だ。
立場が変わることもあるし、そのままではいられないこともわかっている。
でもいつだって戻りたいときに戻ることができるのだ。
当たり前のことをずっと忘れていたようだった。
にこにこしながら「ママ、あのね」とおしゃべりする少女に教えてあげたい。
早く大人にならなくていい、いつだってここに帰ってくればいい。
あなたのママはずっとあなたのママだと。
ただそんな紆余曲折も成長だよなあ と先輩ぶって思ってみたり。
迷いもあったがやっぱりこの街に帰ってきてよかった。
とりつくろった私ではなくありのままの私に戻ることができる。
どんな生き方をしていても私は私だと受けとめてくれる。
お母さんがつくった晩ごはんを食べて一人暮らしの部屋に戻ると、
さびしい気持ちではなく、大人ぶった私が明日の仕事のことを考えていた。
それでいいのだ。そういうことにしておこう。
実家も、この部屋も、私の居場所だ。
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