戦争を経験した最愛の祖母を亡くしてからはじめた習慣

毎年8月になると、私は「戦争」に関する本を読むことに決めている。何冊読んでもいい、別に1冊読み切らなくてもいい。とにかく、少しでも「戦争」を考えられるきっかけとなればと思い、20歳の頃から続けている習慣だ。

この習慣をはじめようと思い至ったのは、20歳の頃、私にとって最愛の祖母を亡くしたからだ。

祖母は、昭和3年に東京に生まれ東京で育った人だった。東京大空襲に罹災し、燃える下町を逃げ惑った。終戦の年は、17歳で迎えた。戦中は挺身隊に入り、薙刀を持たされて本土決戦のための武術訓練を受けていた世代の人だ。「鬼畜米英」という言葉を思いながら、何度も敵を刺し殺す訓練を受けていた世代の人だ。

普段の穏やかな祖母とは違う、薙刀に見立てた木の棒を振る姿

そんな祖母は私が小さい頃、8月になると、テレビから流れる玉音放送の声色を背景に、薙刀に見立てた木の棒をぶんと振って、若かりし頃に身に着けた素振りをよく見せてくれた。

その姿は、高齢でいつも私の前ではにこにことしていた祖母とは違う、異様な勇ましさがあって、「やあ!」という気合いの言葉には幼いながら気迫を感じた。

それでも私が小さい頃は、その光景をみて「おばあちゃん元気だなあ」くらいにしか思わなかったけれど、いまこの歳になって思うことは、祖母のなかに、戦時中の経験が何年経っても色濃く残っている。その影響力の計り知れない大きさだ。

祖母は、青春を戦争と共に生きた人だ。その若さは、二度と戻らないのに。

祖母は80歳を過ぎても戦争という過去と向き合い、学び続けた

祖母の中でその後「戦争」がどのように追憶されていたのか、今となっては私に知る由もない。が、毎年8月になりメディアで戦争の特集が組まれるようになると、祖母のテレビをじっと見つめる背中が思い浮かぶ。祖母の新聞をだまって読み込む姿が思い出される。

そして、ふと玉音放送の声色が聞こえてくると「やあ!」と薙刀を振るう瞬間が、脳裏によみがえる。

祖母と薙刀。私にとっての「戦争」のイメージのひとつに、それがある。

彼女は、彼女なりに「戦争」とずっと向き合い続けていた。
私は無邪気にも、そんな祖母に今思えばいろいろと酷な問いや発言をしてきたように思う。

「戦争になぜ反対しなかったのか」
「戦争をする理由を納得していたのか」
「戦争に勝てると思っていたのか」

彼女はその時、十代だったのだ。年若く、また戦前故に女性に参政権のなかった時代を生きていた。そんな時代を生きる彼女に、上記のような問いは残酷ではなかったかと、今でもふと思う時がある。

しかし彼女は、私からの問いを受け止めて、じっと考え、また時には新聞やテレビから情報を集めて、彼女なりの考えを伝えてくれていた。

その時の彼女は、既に80歳を超えていた。それでも過去を振り返り、学び続ける姿勢があった彼女。

薙刀を振るう祖母の姿を思い浮かべながら考える未来のかたち

戦後75年という2020年。
「わたしと戦争」というテーマをみて、まず思い浮かんだのは祖母の学ぶ姿。薙刀を振るう姿。

祖母と薙刀。知と暴力。
果たしてどちらが彼女だったのだろうか。いや、どちらも彼女だったのだろう。

では、私は?私たちは?
どちらを選んで、未来をかたちつくっていくのだろう。

別に世界を二項対立で考える必要もないと思うが、私は今のところ前者がいい。だから、毎年8月になると私は「戦争」に関する本を読むことに決めている。

祖母の姿を胸に、抱きながら。