幼いころの私は、戦争当時の悲しい表情をした人々が写っている白黒写真を見るたびに「この写真は、なぜ残っているのだろう?」と疑問に思っていた。「カメラを向ける余裕があったのなら、その瞬間に助けてあげられたのではないか。苦しんでいる姿を見て、嘲笑っているの?」とも。

私が疑問に思ったことを問うと、周りの大人は必ずこう言った。

「怖いと思う? そしたら、勉強をしなさい」

大人たちのこの返答に、最初は話をそらされているのではないかと思い、心の中では「そんなこと聞いてるんじゃない」と怒りすら覚えていた。

今なら「戦争」で、辛い思いをした祖父の気持ちが痛いほど理解できる

学校の授業で出された「おじいちゃんやおばあちゃん、親戚に戦争についてのお話を聞いてきてください」という課題のため、祖父に一度だけ戦争について尋ねたことがある。

しかし、修学旅行や給食の献立など楽しい話しか話さなかった。そして、私が驚く反応をするたびに祖父は笑うのだ。
「ゆずちゃんの学校はいいね。給食は美味しいかい?」

違うの、私が聞きたいのは、そういうことじゃないの。

いつも私の味方でいてくれて「なんでなんで?」としつこく質問しても、根気強く答えてくれた祖父にまで話をそらされたと思った私は、その日一日中機嫌が悪く、祖父を悲しませた。

祖父は戦争を経験している。曽祖父と一緒に防空壕に入った経験があることや曽祖父の足に弾が当たったという話も、親戚から聞いていたので知っていた。
ただ、私には一切教えてくれず、結局祖父は戦争について多くを語らずに亡くなった。

しかし、今は祖父の気持ちが痛いほど理解できる。
経験を人に語れないほど辛い思いをした人だっているし、思い出したくないくらい悲しい思いを人だっている。当たり前だ。
その人の立場になって想像してみたら、簡単に分かることだった。

人に頼らず自分で調べて学び、「相手を理解しよう」と思うが大切

「戦争のお話を、聞いて学びましょう」
それはきっと誰にでも聞いていいことではない。
もちろん、講演会にお話を聞きに行ったり、快く教えてくれたりする人がいるのであれば話は別なのだが、私たちはすべてを人に頼るべきではなく、自分の手を動かして情報を調べるなど、もっと苦労して学ぶべきなのではないか。
戦争に関連するさまざまな映像や文献は、ありがたいことにたくさん残っている。

考え方の違い、自分の守りたいものを守るために戦争は絶えない。
自分の大切なものを守るために、必死で戦っている人たちに、どのように「戦争はやめよう」と伝えられるのか、その部分を皆で考えて、共有していくべきではないのか。
戦争をなくすために一番大切なことであり、私たちがすぐにでもできることは、“相手を理解しようと思うこと”なのではないか。

戦争の歴史について勉強していくうちに私は、政治から痴話喧嘩まで、身の回りで起こる争いごとは戦争に至るまでの“流れ”と同じだということに気付いた。

白黒写真に隠されたメッセージが、私たちに残してくれたもの

高校生のころ通っていた予備校の歴史の先生が「いいかい、悲しいことだけど、歴史は繰り返してしまうんだ。そうなる前に、君たちが今学んでいることをどう活かせるかなんだよ。日本の未来は任せたよ」と言っていたことを未だに覚えていて、たまに思い出す。

これらのことを踏まえ、改めて白黒写真の謎について考えてみると、やっと見えてきたことがある。

カメラが高価なもので、一部の人間にしか手に入れられなかったことも含め、写真を撮ることは現代よりもずっと貴重だったに違いない。
だから今、写真として“残っている”ものは、誰かが意図的に残したということなのだ。

白黒写真を撮ったのは、“味方”ではなく、現場から少し離れた安全な場所にいて、歴史の瞬間を後世に残しておかなければならないと思った人たちが残してくれた「人間に二度とこんな顔をさせるな」というメッセージなのかもしれない。

戦争という漠然とした言葉に、自分は関係ないと思っていても、小さなことからでいい「どうしてこの戦争は起こってしまったのか?」と疑問をもつことからはじめてみるのはどうだろうか。