戦争法反対!
民主主義ってなんだ!

こんなシュプレヒコール、覚えている方はいるだろうか。

特定秘密保護法、安全保障関連法案、強行採決……受け入れ難い、政治家たちの暴走が起きていた頃(今もそうだと思うけども)。わたしは学生団体であるSASPL、後のSEALDsのデモや集会に何度も参加していた。こう書くと、大きな声でシュプレヒコールをあげていたように思われるかもしれないけど、わたしはいつもプラカードで顔を隠しながら歩いていた。写真を撮られるのも嫌だったし、外で大きな声を出すのも性にあわない。でも、反対していたから参加を続けていた。

1度だけ、スピーチをした。知らない人達の前で、自分の思いを叫んだ

そんなわたしも、1度だけ、スピーチをさせてもらったことがある。デモを主催した先輩から誘われたことがきっかけだった。思いを話せばいいから、と勧められ了承した。
残暑が厳しい秋の日だった。デモの1番前に立って、歩きながら、マイクを持った。これは、当時のスピーチ原稿の抜粋である。

「みんなが人間らしく健やかに生きることの出来る社会にしたくて、福祉の道を歩みたいと思ってます。そんな私にとって、この安保法案は、その夢を打ち砕くものです。福祉について学んでいると、今の社会保障制度の問題点を沢山感じます。格差社会の日本で、人間らしく、健やかに生きることが保証されていない世の中です。苦しい生活をしている人達を横目に、軍事費にたくさんのお金を使うなんて、わたしが作りたい社会ではないし、わたしの夢が叶う世の中でもありません。戦争に使うお金があるのならば、社会保障の問題に政府は向き合うべきです。」

知らない人達の前で、自分の思いを叫ぶ。心臓がどくどく鳴って、泣きそうになった。それでも、わたしは訴えたかった。政府のすることが本当に許せなかった。

この国が日常を奪う側になりえるということに、反対していただけ

わたしが特に反対していた集団的自衛権の行使とは、自国が攻撃されてなくても、他国を攻撃出来るというもの。売られていない喧嘩を買いに行くことが出来るのである。平和憲法がある国で、戦争が出来るようになる。戦争をしないと誓ったはずの国なのに。一体誰が望んでいるのか、納得できる説明は政治家たちからはなかった。憲法を解釈で歪めることも、議論の場をきちんと持たないことも、許せなかった。

わたしは、デモに参加すること、ましてやスピーチだって、本当に別に得意じゃない。でも、日常を守りたかった。

日常って、毎朝自分のベッドで目を覚まして、ご飯を食べて、電車に乗る。仕事をして、お給料をもらう。家族がいて、友達がいる。ご飯を食べる、時には贅沢にケーキも食べる。恋をして、泣いたり笑ったりする。本を読む、映画を見る、音楽を聴く。楽器を演奏する、体を動かす。
病気になったら治療を受ける。一生付き合う病気や障害を持ったらそれに合わせた生活を送る。そのための支援を受ける。たまたまずっと健康でいれたとしても、歳をとったら体は思うように動かなくなるから、その時は助けてもらう。これらはすべて、戦争のなかには存在しない。戦争のなかには、人権も福祉もない。

日常を奪われた人達がいるということ、そしてわたしたちの住むこの国が、日常を奪う側になりえるということ。それに反対していただけだった。あの時、デモに一緒に参加した友人や、毎週スピーチを重ねていた先輩たちも、きっと同じだ。

平和は受け取るものではなくて、作り守るものだ

75年前、戦争の果てに、広島と長崎に原子爆弾が落とされた。キノコ雲が上がるその一瞬まで、愛おしい日常が流れていたはずだ。それが一瞬で消え去ったことを、わたしたちは知らなければならない。学ばなければならない。伝え抜いていかなければならない。

自戒を込めて思う。
平和は受け取るものではなくて、作り守るものだと。