地元にはいい思い出しかない。
幼稚園に入る前から高校卒業まで通った通学路も、「今年は誰と行くの?」と浮足立った花火大会も、音楽部だけが知っていた非常階段から見える夕日も。泣きたくなるくらい美しい景色が、小分けにタッパーに入れられて冷凍庫の底で眠っている。もちろん東京を進学先に選んだことには偏差値以外の理由もあったし、過去の日記を読み返せば、一刻も早く地元を離れて暮らしたいと小学5年生から書いていた。しかし、「地元にはいい思い出しかない」のだ。ご都合主義な私の脳みそは、いい思い出だけを拾い集めて、記憶を完全に美化している。
仕事を辞めて戻った地元。ぬるいベールに包まれて現実逃避をした
昔から「しっかりしてる」とか「仕事できそう」とか言われて育った私は、文字通り胸いっぱいに期待を膨らませて臨んだ社会人生活を早々にリタイアした。仕事を辞めればボロボロの体も心も元通り!と思っていたがそうはいかず、4年と4ヶ月ぶりに地元に舞い戻ったのだった。
何も考えずとも食事と呼べる食事が用意され、湯船にも浸かれる。さらに、苦痛だった10分に1回の電車の轟音もない生活はとても快適だった。東京には持っていけなかった本を読んだり、画面の大きなテレビで映画を見たりして過ごし、無意味にSNSに入り浸ることがなくなった。毎日があまりにも無害すぎて、心が穏やかで、ぬるいベールに包まれているのかと錯覚するくらい、そこは確かに守られた世界だった。ぬるっと起きて、食事をして、いつ寝たんだか記憶もないまま眠りにつく。
正直、同期たちが慣れない新生活に奮闘している間、こんな毎日を送ることに罪悪感もあった。しかし、社会人生活の初戦で力を搾り取られた私は、自分は戦うフィールドを間違えていたのではないか?ビジネスのbの字も知らず、そして微塵も面白いと思えないなら、他の方法で暮らしていく方が自分のためになるのではないか?と現実逃避し続けていた。きっとホンモノの「仕事ができる」人たちは、私が今しているような平坦な日々は好まないだろう。彼らが「代わり映えのしない」と評価しそうな毎日は、私にとってはありがたい静けさだった。攻撃もなければ感動もない、くすんだ色をした世界でおばあちゃんになれたら幸せかもしれないと心の底から思っていた。
18年間の記憶が詰まった大切な景色を求めて、屋上のドアを開けた
ある日、毎日ベッドで1日を終える罪悪感から出かけた散歩で、近所のデパートにたどり着いた。すっぴんマスクにキャップの出で立ちだったから、薄暗い駐車場から入店し、エレベーターを待つ主婦たちを避けるように階段を上る。通い詰めた書店がある3階まで上ると、その先にほとんど訪れた記憶がない屋上駐車場への階段が現れた。覚えている限りでは屋上はおろか2階の駐車場すら埋まっていなかったから、おそらく誰もいないだろう。それなら、と屋上へのドアを開くと、開けた空があった。
久しぶりに対面する青空を見上げていたかったが、平日の昼間にデパートの屋上でフラフラしていたら、絶対に心配か通報かされてしまう。ちらほら車が止まるアスファルトを周回し、誰も乗車していないことを確かめてから、今度は思いっきり空を仰いだ。東京では見られない、高くて広い大好きな空。大事に保存すればするほど好きになった、地元の空だ。もっと広い空を見たい。いつか地平線がみられる場所で、人生1番の空を見上げたい。コンクリート塀に囲われた四角い空間で、そんなことを思った。
ふと視線をおろし、屋上をぐるっと囲っている塀に足をかけてみる。18年間見てきた景色を、高いところから見てみたかった。いつ人が来るか分からないし、それが知人である可能性もゼロではない。知り合いだらけの不自由な地元だから、本当に一瞬だけ。きっと、目に焼き付けたくなるような、冷凍保存したくなるような景色が広がっているんだろう──。
まだ見たことのない景色を見てみたい。故郷の空を見上げて考える
正直に言えば、屋上からの景色はいつも見ていた風景とそれほど変わらなかった。この街で1番高い場所は、中学校でほとんどの時間を過ごした音楽室だと気づいたのは、少しあとの話だ。いつもより目線が上がっただけの景色に気が抜けてフッと息をついたが、予想外の景色よりも、自分が「見たことのない景色をみたい」と一瞬でも思ったことが驚きだった。
代わり映えのしない毎日を、ぬるま湯の中を生きていくことが本望だなんて呟いていたくせに、一丁前に刺激を求めていた。
あぁ、良かった。私、てっきり私はもう再起不能かと思ってたよ。自分になんの期待もせず、頑張ることを止めておばあちゃんになることを心から望んでいるのかと思っていたけれど、どうやらそうじゃない気持ちも一欠片くらいは残っているらしい。何が変わるわけでもなかったけれど、少なくともやりきれない気持ちを抱える自分に失望せずに済んだ。今の私には、それで十分だった。少しだけ軽くなった心を抱いて屋上をあとにする。
たくさんの景色が冷凍庫で眠っているように、いつの日か苦しみもがいた今日の記憶も、愛すべきモノとして保存されるのかもしれないと思いながら。