子供心って意地っ張り。

ゆっくりと時間の流れる暑い夏の日。産声を上げてから、気づくと18年という時間が経っていた。物心ついた頃から憧れ続けていた“大人”という存在。
「大人になったらこれやりたい!」
「大人になったらこうなりたい!」
目を輝かせていた自分はいつの間にか消えていた。

そもそも大人っていつから? 仕事を始めたら大人? 親離れしたら大人? それとも、お酒を飲めたら? じゃあ、働かないで実家で過ごしている人やお酒が飲めない人は子供? 子供と大人の境界なんて、誰が判断するのだろう。

「あなたはいつまでもママにとっては子供なのよ」学生時代、母からはそう言われた。この意味を、当時の私は子供扱いされていると思っていた。
母の前では、子供のように駄々をこねたり、泣いたりしなくなったから「私はもう立派な大人」なんて気取っていた。何でも一人で出来ると、意地を張って。

でも、25歳になった私から「大事な人を守れたら大人だよ」って、過去の自分に言いたい。

私は大人になりたくて焦っていた。でも…想像以上に辛い世界だった

高校へ入学をしてしばらくのこと。母は疲れ切ってお酒に頼ることしかできず、入退院を繰り返していた。実家は車が必須の田舎で、当時は母と祖母、姉と4人暮らし。車を運転できたのは母だけだったため、不便なことがたくさんありながらも、祖母への負担を減らすため、学校帰りに買い出しなどをしていた。そんな日々を過ごし、18歳の春、高校を卒業。

胸を躍らせていた新社会人だ。夢にまで見た“大人”の世界の仲間入り。でも、自分を大人だと勘違いしていた私には到底追いつける世界ではなくて、想像を超えた辛い世界だった。

「帰ってきなさい」毎日電話をくれた母に弱音を吐くと、母はその言葉だけを言って、私は涙が止まらなかった。美容室嫌いの母の為に理美容の道へ進んだのは良いものの、母が近くに居ない事がどうしても耐えられず「辞める」と言ったその日に実家へと戻っていた。

初めて離れて暮らしてみてわかった事。
私はまだ“子供”なんだと、やっと自覚した。

私と一緒で寂しがりやな母。たくさんの「愛情」を与えてくれたね

実家へ戻った私は、時給の高いパチンコ店でアルバイトを始めた。姉は高校卒業後に実家を離れていたため、その頃の実家は母と祖母の3人暮らし。「この給料入ったら、母と祖母と私の3人で小旅行行こう!」と話すと、母は嬉しそうに聞いていた。

そんな母は、私に劣らずとても寂しがりやで、遅番で帰りが深夜1時を過ぎていても、いつもサラダを作って待っていてくれた。そして時々、こたつに座る私の後ろにピッタリと張り付いて座ったり、友人の家に泊まりに行くと必ず電話をかけてきたりした。そんな時、きっと無意識に「愛してる」と感じていたのだと今は思える。

日常では恥ずかしくてあまり口には出せない言葉だけど、もっと自分が大人だったら、直接伝えられていたのかもしれない。
でも、私が大人に近づいたのはもっと先の事。
そして、愛する人との別れは突然だった。

まだ「大人」になれていないけど、愛する母へ伝えたいこと

私にとって世界で一番いらないと思う人は、母に暴力を振るい、お金を取っていく実の兄。

私が実家へと戻った年の夏、そんな兄から暑中お見舞が送られてきた。そして母は、兄と兄の娘に会いに、隣町まで車で向かったが、行った先で兄達は居留守をつかい、その帰り道、母は交通事故を起こした。はじめは意識がはっきりしていたものの、時間が経つにつれて苦しそうになる母。「もう、良いと思ったんだもん…」確かに母はそう言った。母は、兄が居留守をつかっていた事を知っていた。

そして母は、意識がとぎれとぎれになりながら、抱きかかえた私の胸の中でこう言った。
「何もしてあげられなかった。ごめんね」と。

私は自分を憎んでいる。何も言ってあげられなかったことを。何も母に伝えられなかったことを。何もしてあげられなかったことを。頼れる人間ではなかったことを。守ってあげられなかったことを。「あの時こうしていれば」「あの時伝えていれば」と、後悔ばかりが今も残っている。きっと、自分が死んでも永遠に後悔が消えることはない。

大事な人に伝えられるのは、今のこの一瞬だけかもしれない。大事な人を守るためには、その人を支えられるほど器のでっかい人間にならなければならない。

私は、大人になるために大事な人を失ったわけじゃない。大事な人を失ったから、大人になった。それに不完全な大人だ。これほどに虚しく、情けないことはないだろう…。

もし、かけがえのない人がまだ触れられる存在であるのなら、一瞬たりとも突き放したり、裏切ったりしないでほしい。喧嘩をしたり、気に入らない事は長いこと一緒に居れば付き物。けれど、隣りにいるその人とあと何時間の時を一緒に過ごせるか分からない。

伝えたくても、触れたくても、もう声も姿もなにもない存在に、私はあれから毎日宛もなく叫び続けている。大事な人を無くした人なら誰もが胸に刻むだろう。
“今”こそが未来の自分にとって、かけがえのない時間なのだと。