テスト開始の合図、70分のテストに集中する。答案回収時にふと足元に目を向けると、白い床にゾッとする量の髪の毛が束になって落ちている。私は机に向かうとき、集中するとき、何かプレッシャーがかかっているとき、どうしても自分の髪を抜いてしまう。
気が付くと、髪を抜いてしまう。やめられない「癖」は、病気だった
「抜毛症(トリコチロマニア)」だと診断を受けた。自分で自分の髪を抜いてしまう病気だそうだ。私はこの症状に向き合って10年以上になる。きっかけは見当たらないが、中学受験のために通っていた自習室で、よくプチプチと髪を抜いていた。最初はチリチリしている毛を探って抜いていた。たまに白髪があったり、毛根の形が違っていたり、髪の毛に新しい発見があった。抜くことがやめられなくなった。気がついたときには10円はげができていた。
両親に心配され、精神科や皮膚科に連れて行かれたが、自分で抜いているのだから医者にかかっても治らない、ただの癖だと思っていた。あまりにも心配されるので、頭頂部を避け目立たないところを抜き始めた。母親にデジカメで後ろ姿を取られたときに、普段見ることのない自分の後ろ姿にゾッとした。当時13歳、私はハゲていた。耳から下の髪が全てなくなっていた。これはやめないといけない癖だと気がついた。でもやめられなかった。
他人の視線に、言葉に、敏感になって過ごした学生時代
制約の多い学校生活は、髪にコンプレックスを持つ私には辛い環境だった。髪を結ばないといけない。帽子はかぶることができない。水泳の授業を受けないといけない。濡れた髪を乾かすことができない。タオルを被ったり、うなじの見えない低いポニーテールをしたり、アイライナーで頭皮を塗りつぶしたり、必死にハゲを隠していた。白い頭皮を隠せているか、常に怯えていた。
中学の先生が授業中に髪をいじる他の生徒を注意していた。自分のハゲのことを指摘されているような気がしてビクッとした。友達が前髪を振り乱して体育を受けていた。「まじでハゲなんだけど」という自虐の言葉が私に突き刺さった。年配の理科の先生を、男子がハゲと笑っていた。
自分のことかと思った。
私は、学校に溢れる髪にまつわる鋭い言葉に怯えながら生きていた。人の視線や、人の評価に敏感になり、どんどんハゲを隠さないといけないという緊張感が高まった。髪を抜く自分が嫌になった夜には、気がつくと両手にいっぱいの髪の毛を握っていた。
髪は、自分の身体の一部。他人の目なんて気にしなくていい
周りの友達は、私のハゲに気がついていただろうか。私の周りの人間は、私の少し変な髪型について何も言わないでいてくれた。今思うと、そんなに気にならなかったのが正直なところだろう。人の髪型なんてそんなに興味がないものだ。電車で髪のうすいおじさんを見てもわざわざハゲとは言いに行かないし、髪の多い子少ない子、直毛の子カールしている子がいるように、人それぞれだ。私は自分で自分の髪を抜いていた。でも、それは他人にとってはそんなに気にならないことだったみたいだ。
「髪は女の命」という言葉の力は大きい。髪の調子がいいと一日気分よく過ごせるし、髪を切ると気持ちが変わる。でも、自分にとっての気分のバロメーターであるだけで、他人にはそんなに影響を与えない。あくまで自分の体の一部分、他人を不快にさせるようなパワーは持ち合わせていない。ハゲを必死に隠していた中学生の私に伝えたいのは、髪型に神経質にならなくても、意外とみんなは見てないよということ。
あなたの魅力は髪だけで決まるものじゃない。自分に自信を持って
もし、私と同じように髪を抜いてしまう行動に困っている方がいらっしゃったら、伝えたいことがあります。それは癖ではなく「抜毛症」という病気です。髪を抜いてしまう自分が悪いのではなく、病気だから仕方のないことなのです。病気だから治療することができます。髪がなくても、抜毛症でもしれっと生きてる人間がここにいます。目立たないところを抜いていれば意外と隠せちゃうものなんです。もっと自分に自信を持ってください。あなたの魅力は髪型だけに左右されるものではありません。あなたの本当の美しさを閉じ込めないで、どんどん活躍していって欲しいです。