生理痛とは、「月経に伴って起こる下腹部などの痛み」(デジタル大辞泉より)であり、一般的には腹痛、頭痛、倦怠感などの症状があげられる。

私はここに、生理に伴う痛みとして、「生理を意識する心の痛み」を加えたい。個人的に生理にはいつくるかわからない恐怖がある。知らぬ間に股から血が流れ、服や周辺を汚してしまうのではないかと気にする痛みがある。また、生理がきたとしても、経血がもれてやしまいかと心配するのも気苦労で生理にまつわる痛みだ。統計をとったら、一生の間に腰のあたりをみたり、椅子を確認したりする回数と生理が来た回数は、綺麗な相関を描くと思う。

どうして恥ずかしいと思わないといけないの?

私は生理が得意ではない。はじめて生理がきてから2年間は生理をずっと隠していた。自分が生理であることがたまらなく恥ずかしかったため、誰にも知られないようにしていた。

生理という存在がそもそも苦手である。加えて、生理の特性「気づかぬうちにやってくる」に悩まされた。28日~32日の周期でくるといわれている生理が時間どおりにきたことはほとんどない。生理が近づくと胸が痛くなったり、眠くなりやすい感覚はあるものの、毎日「今日かも?」「今日かも?」と怯えながら、ナプキンをつける。

だけれども、トイレにいっても真っ白なナプキンをみて、ため息をつくことは常々。生理がきても嫌だし、こなくても嫌だ現象。そして、「もうこないかあ」とあきらめて、普通にショーツをはいた日に限って、生理はやってきて、物理的にも精神的にも惨事をおこすのだ。

二十数年間の人生のうちで、生理がうまくいかなったことはちょいちょいあり、そのたびに恥ずかしさを埋めるために、同志はいないものかとインターネットで検索をかける。すると、共感や同情の声とともに、自分でそんなことも管理できないなんて情けないという言葉が自分に突き刺さってしまう。同時に、どうして恥ずかしいと思わないといけないのだろうかという怒りもむくむくしてきた。

思えば自分の生理恥ずかしい信仰は、旅行に行った際に「ママ今日生理なんだって」とサービスエリアで言ったら、「大きな声でそんなこと言わないの」と怒られたことにある。しかし、もっと大きな声で、私は「生理です」「生理は恥ずかしくない」と言いたくなってきた。

いつかこの痛みがなくなるまで、向き合っていく

生理にはまだまだたくさん痛みがあると思う。トイレでナプキンをとろうとするとき、なぜかトイレの後ろ側や上の棚にあって、大変取りづらい話(トイレが生理がある人用に設計されてない)や子宮をコントロールする権利が与えられてないことなどに私は痛みを覚えるととともに怒りを感じる。

今日もこれからも自分と生理との付き合いは続いて、生理トレーニングは果てしない。それでも少しずつ楽にしたいし、いつか生理の痛みがなくなって、その歴史が博物館になるような時代がくるように、生きていきたいのです。