基本何に関しても飽きっぽくて、いろんなことに手を付けては文字通り三日坊主でやめていく私。
そんな私が唯一、かれこれ15年近く続けているものがある。
中学3年生の頃から、現在も仕事をしながらバンド活動として続けているドラム。
これだけは、もはや私のアイデンティティといってもいいものだろう。

仕事にするほど腕がいいわけではないし、日本人の性として口ではやっぱり謙遜する。
けれど私は、私なりにこのドラムという楽器がとても好きだし、遣り甲斐も感じているし、ドラマーとしてのプライドも持っているつもりだ。

叩けば音楽が始まる「ドラム」は、バンドの司令塔だ

そもそもバンドという界隈は、ドラマーの需要と供給のバランスが極端に悪い。
しかし、バンドはドラムがいて初めて成立する。ドラムがいなければ、それはバンドではなく弾き語りになりますしね。

さらに、演奏の際もドラムが止まれば、バンドの音楽が止まってしまう。
極論演奏中にミスって音を止めても、他の楽器の場合はその瞬間に曲が止まることはほとんどない。
けれどドラムだけは、音が止まればその瞬間に曲が止まる。つまり、それぐらい大きな責任をドラマーは日々背負っているということだ。

一見地味に見えるけれど、バンドという組織を支えるとても重要な存在。
そんなドラムという楽器が、私はすごく好きだ。

そんな自分なりのプライドを持って10年以上、私は男ばかりの社会であるバンドでずっとドラムを叩いてきた。
その中で、私は何度も以下のような褒め言葉をもらったことがある。
「女性ドラマーなのにパワフルですごい」「女の子ならではの繊細さがある音だよね」と。
その言葉をもらう度に、何なら今でも、私の心にはモヤモヤとした黒い塊が生まれてしまう。

男社会のバンドの中で、女性ではなく“私”の個性はどこにあるの?

私自身、このように褒められた事を自分に感じた事は正直一度もない。
なぜなら、誰あろう私本人は、いつだって大勢の男性ドラマーに敵わないと思いながらバンド界隈で生きてきたからだ。

私が憧れたのは、いつだって筋量のある男性にしか出せない爆音や、豪快さと鋭い切れ味のタイトさを兼ね備えたドラムだった。
ルックスだって、スタイリッシュな黒いスーツや地味さはあれど武骨な格好良さを兼ね備える、そんなバンドがずっと好きだった。
私がもし男なら、何て言って私のドラムを褒めてくれたのか。
私がもし男なら、そもそも私のドラムを褒めてくれたのか。
私に褒めるところがあったとしても、それは本当に“私のドラム”なんだろうか。
それは、“女性のドラム”を褒めているだけじゃないのだろうか。

けれど一方で、私が女性ドラマーだからこそ、私の存在を覚えてくれたり、私のことを注目してくれる人もいる。
上記のように、褒めてくれる人たちもいる。
バンドという男社会で、女性という個性は確かにアドバンテージに大いに成り得るものではあった。
それでも私は、それを上手に使おうと思えるほど大人でも、自分の女性という性に自信があったわけでもなかった。

私はいつだって、他の男性のドラマーたちと同じように肩を並べたかった。
けれどそれは、私が女性ドラマーである限り、永遠に敵わない願いだ。
ドラムを叩き続けて10年以上、私はその思いの中でずっと苦しんでいた。
それでも、ドラムはやめたくなかった。
私はドラムが、バンドが、音楽を演奏することが、何者にも代えがたいぐらい大好きだったから。

バンドを続けることは難しいけど、やっと女性ではなく“私”になれた

しかし数年前、20代後半になった辺りから、上記のような言葉で褒められることが次第に少なくなってきた。
理由は簡単だ。この歳になってまでバンドを続ける人間が、周囲からいなくなっているからである。
私というドラマーを歳の近い男のドラマーと比べる人は、気づけばいつの間にかずいぶん減っていたのだ。

同時にその頃から、私は女性ドラマーという括りではなく、“この歳になってもバンドを続けているドラマー”としてそもそも括られているような気がしている。
バンドなんて、メジャーデビューしたり派手に売れることはかなり難しい。
けれど、特に売れもしないバンドが30歳前後になっても音楽を続けることも、それと同じくらい難しいことなのだ。

私のドラマーとしての価値は、女性という点ではなく、この歳になってもバンドを続けている人へと次第に変遷している。
その中で、結婚もして人妻になって本来なら家庭や子どもの事を考えなきゃいかんのに、「いい歳こいた大人の女性がまだバンドなんかやってんの」。
そんな蔑称を込めて視線を送られることや、心ない言葉を言われることももちろんある。

でも私は、昔に比べこの歳になった今の方がずっと息がしやすい。
この歳になってもバンドを続けている人の括りで、私は初めて自分にとって一番大事な場所で。
男性ドラマーたちと、“私”という存在として共に肩を並べて立つことができたのだから。

もちろん、未だに女性ドラマーとして私を扱う人もいるし、男性ドラマーと自分を比べて劣っていることにしょんぼりすることもある。
けれど、これからの私はもっと楽な気持ちで、音楽が好きで楽しい、もっといろんな曲を叩きたいという純粋な思いで。
ドラムとバンドと向き合えそうな、そんな気がしている。