地元=帰りたい場所という“幻想”。自然体でいれない私には真逆
「帰省しないんですか?」「全くする予定ないですね」職場での何気ない会話。毎年お盆や年末になると決まって出る話題。私はその質問に、考えることもなく冒頭の答えを返す。その度に、質問者は少し驚いたような表情を見せる。きっとそのような反応を見せる人というのは地元=帰りたい場所という認識を持っているのだろう。その人にとって地元は自分を受け入れてくれ、自然体でいれる場所、だからまた戻りたくなるんだろう。しかし私にとって地元はその考え方からは真逆。自分を否定される場所であり、自分を偽って過ごしてきた場所である。
孤独を味わった小学校時代。母親と祖父は不登校を許さなかった
上京したのは24歳のとき。今私は26歳になるのでまだ2年しか経っていない。つまりはそれまで地元で過ごしていた。人生のほとんどを偽って生きてきた。
そう思う理由はあげたらきりがないけれど、特に色濃く刻まれている時期は小学校と中学校の頃だ。少人数1クラスという田舎の小学校に入学した私。大人しく人見知りをしがちな私は、友達をうまく作ることができず、典型的ないじめられっことなる。直接的な危害を与えてくるわけではなかったが、私を否定するような言葉を投げかけられ、私の存在を無いもののように扱われる毎日に精神的に追い詰められていた。生徒の数が多ければ、自分と合う人間を見つけて1人くらい友達を作れたと思うが、全校生徒100人もいないような小学校。
加えて、この学校はいじめっこが神格化されていてその人がトップに登りつめていたので、私に味方なんていなかった。段々、教室にいることが辛くなり、保健室登校になった。先生は、そんな私を見ていじめっこよりも問題児扱いしていたように感じる。それっぽいことを私に語りかけてきたりしたが、誰一人私に寄り添うものなどいなかった。
そして私は不登校ぎみになった。でも家族はそれを許さなかった。
当時、父親は単身赴任をしていたので母親と祖父の3人暮らし。母親と祖父は私が学校に行かないことを許そうとせず、引きずってでも連れて行こうとした。その度に、私を罵倒した。勇気をだしていじめられていることを告白したが、それに対しての反応はあったかどうかも忘れるくらい微妙で、変わらず不登校を許そうとしなかった。誰もこのいじめ問題と向き合ってくれなかった。私には居場所なんてなかった。
自分を偽りぬいた中学校時代。言葉の暴力を受け入れるしかなかった
状況は変わらないまま中学校に入学した。もちろん、小学校の同級生もまた同じ学校だ。中学校も相変わらず1クラス。加えて、いじめっこは小学校のとき外でクラブ活動を行っていたので他の小学校の友達もいて、既にコミュニティが完成していた。相変わらずいじめっこはクラスのトップだった。
またひとりぼっちになった。
しかし勇気をだして友達を作ろうと声をかけた結果、仲間に入れてくれた人もいたが、陰湿な中学生という時期。少しでも気に入らないことがあると仲間はずれが繰り返され、誰も信じられなくなった。そして1番厄介なのは私のキャラ設定。いじめっこでなくいじられキャラとなっていたので、冗談と言うなの言葉の暴力を私は受け入れるしかその学校で1人にならずに生きていく術はなかった。いじめられているわけではないので先生に相談もできなかった。相変わらず家族との関係も悪く、このような状態になってることすら言えるわけがなかった。やっぱり私の居場所はなかった。
上京してからは、自分らしく。本当の自分が帰る場所はここだった
振り返ってみると地元に居場所なんてなかった。実家も卒業した学校もあって物理的に帰る場所はあるが、本当の私が帰る場所ではない。上京してからの毎日は、自分を知っている人がいない状況だからか、全てから解放されたように自分らしく生きられている。本当の自分というものを見つけられている。
東京には実家も卒業した学校もなく、ひとりぼっちだけれど、この場所で大切なものがたくさんできた。この場所が私のいるべき場所だ、そう感じさせてくれる。きっと普通の人が地元に対して思う気持ちはこんなふうなんだろう。だから私は今年も地元に帰りたいとは思わない。本当の私が帰る場所は地元ではないから。