先月わたしは20歳になった。
案の定父親から連絡は来ない。
いや、既に戸籍上父親とは呼べない相手であろう。元父親とは縁が切れてから10年ほど経つ。

元父親は、偶然私の横を通りすがり、こちらに一目もくれなかった…

私の大学進学が決まった時に一度だけ、
「学費を支払っていただけないか」とショートメールをしたことがある。
返事は「大学進学はあなたのエゴだから支払う気は一切ない」「追伸:僕の母親(私の祖母にあたる人物)の火葬が先ほど終わりました」と返信が来た。
私は「御愁傷です」と返した。

それが私と元父親の最後の会話だった。実の祖母の訃報はこんなにもサラッと知らされるものなのかと驚きはしたが、悲しくはなかった。
一応孫であるはずの私は、火葬にすら呼ばれないのだなとだけ思った。

きっと次に私と父親が再会するのは、彼が冷たく動かなくなった時であろう。
いや、もしかしたら死に目になんて会わないのかもしれない。私が10歳で父親と共に過ごしていたあの家を出て行ってから、それが父親との最後の日だったのかもしれない。

当時、母親には内緒にしていたが11歳の時に、こっそり父親と住んでいた家の近くに友達と遊びに行ったことがあった。偶然にも父親が私の横を自転車で通りすがったが、父親はこちらに一目もくれなかった。
あれが父親にとっての実の娘に対する答えであり、私と彼の関係性の終わりの日であったのだろう。

元父親のことを想うと「血の繋がり」は、私を悲しくさせる

20歳は、世間にとって節目と呼ぶ年だ。
あなたと縁が切れてから、私は勉強をして賢くなったし、何人かの男性とお付き合いもした。お酒だって飲めるし、煙草も吸う。
そんな私のことが、心配ではないのだろうか。

元父親との記憶は、10年以上前のものしかない。
これといって楽しかった思い出もないし、執着もない。ただ父親のことを想うと、血の繋がりという僅かな無意味な事実の冷ややかさや生きるということの残酷さを感じて、悲しくなる。

元父親が再婚していなければ、彼の葬儀の喪主は誰がやるのだろうか。
彼の骨は、どこの墓に入るのであろうか。
この前、初めて行った呑み屋で知らない親父に父親の年齢を聞かれたが、そんなの私が聞きたかった。元父親の老後を、私は想像することができない。

会いたいとも思わないけど、一瞬でも私を愛していたか聞きたい

小学生の頃の父親は、きっと誰よりも冷徹な人間で、私がどうなろうと全くの無関心であるのだ、私は彼にとって当たり前に要らない存在なのだと信じていた。

しかし、20歳になって思うが10年以上過ごした家族を急に失う男の気持ちとは、如何なるものなのだろうか。少しは寂しくはなかっただろうか。
彼は私がいなくなった時、涙を流してくれたのだろうか。
彼の本当の優しさも体温も息遣いも輪郭すらも私は分からない。
親権を手放され、進学を拒まれ「会いたい」とも言って会ってもらえないのは私だからか。

私も会いたい気持ちは、一切ない。話したいことも、聞きたいことも何もないのだ。
きっと彼との私の関係性は宇宙のどこかに消失してしまって、父と娘という関係性など初めからなかったのだ。

段々と私の顔が大人びてきて、ほんのりと父親に顔の形が似てきた、どうしようもない事実が残されただけ。全ては過去で終わった話だ。
でも、ただ…本当の父親が、彼が、あの一人の男が、誰であってどんな人間で何を考えて生きていたのか、彼の輪郭を知りたかった。彼に一度でいいから触れてみたかった。

私が産まれてきた時、少しは嬉しかったのか、私が成長していく様を見て少しは愛おしかったのか、私はいつまで生きていていいのか…。

「一瞬でも私を愛していた?」と、あなたに教えてほしかった。