2000年頃、小学生になったわたしの周りには「エコ」「環境問題」という言葉であふれていた。入学して1年の間に校舎裏のゴミ焼却炉が廃止され、給食のゴミの分別も年々厳しく指導を受けるようになった。

年々更新される夏の気温。秋には過去最大級の台風が訪れる。テレビにセンセーショナルに映し出される行き場をなくしたホッキョクグマ。
わたしがおばあさんになる頃の日本や地球の明るい未来は、とても想像することができなかった。

「環境問題」に関心があっても、個人の努力じゃ変わらない…?

2020年、日本列島では当たり前のように暑さで人が亡くなる時代になった。もし、今年の
夏オリンピックが開催されていたとしたら、多くの選手や関係者が暑さに倒れていたかもしれない。台風が訪れるときには、事前に電車の運休が決まることも当たり前のことに。このままだと北極の氷は2030年になくなってしまうらしい。

いちばん強いのは実はあなたの力!

今年の7月にレジ袋の有料化が実施されたことは記憶に新しい。賛否両論あるが、環境問題に関心を持つためのきっかけとなればと感じた。
「環境問題を解決しよう」と政府や世界は叫んでいる。なぜ、なかなか実行されないのだろう。

企業は自社の利益を優先している。
社会構造は、そうカンタンには変わらない。
わたしたち個人は、便利な生活を手放したくない。
企業は、利益を手放したくない。

「個人が行動しても変わらない」と多くの人が考えていると思うし、行動をあきらめてしまっている人も多いのではないだろうか。
こうした資本主義によって生まれた環境問題には、同じく資本主義の構造をうまく使って解決ができると考えている。

答えはカンタン!「環境に優しい商品を買うこと」だ。
一人でも多くの人がエコな商品を購入することで、企業側に“売れる商品”だと認識をしてもらえれば、自然と社会は“環境に優しい商品”の販売が当たり前のことになるのだ。
個人で無理なくできる“エコ活”をはじめよう

個人で「エコ活」をしているときにぶつかる壁の乗り越え方

わたしは「#SDGs」を共有したい というタグをつけて主にTwitterで社会問題やエコについて発信をしている。環境問題に関心のある人と交流をしているうちに、個人がエコ活をするときにぶつかってしまう2つの問題に気が付いた。

1つ目は、“地球環境も大切だけれど、環境に悪くても安い物が買いたい”ということ。
環境に優しい洋服や日用品は価格が高いことが多い。そのため、なかなか手が届かないという訳だ。例えば、洗剤類や化粧品は材料を安く購入して自分で作ることができる。ネットにたくさんの情報があるので、ぜひ調べてみて欲しい。
また、プレゼントを贈るときにエコ商品を選んでみることもおすすめ。自分用に購入するには高価でも、プレゼントならいつもと同じ予算で買うことのできる物もたくさんあるので無理をせず取り入れることのできる方法。

2つ目は、“自分はエコを頑張っているけれど、周りに環境問題に関心のある人がいなくて心が折れそうになるときがある”という問題。
環境問題に心を痛めて、真剣に行動している人はたくさんいる。しかし、家族や友人、会社の人など日常生活の中で関わりのある人に環境問題についての想いや価値観を表明することは難しい部分も多く、一人で抱えてしまうこともしばしば。
一緒に頑張れる仲間がいないから、環境問題に取り組むアクションを続けていくモチベーションを保つことが困難だと感じている人には、SNSを活用して欲しいと思う。
SNS上でエコに関心がある人と交流すると、日常的にたくさんの仲間がエコ活をしている様子が毎日流れてくる状態になる。リアルの生活では孤独だったとしても「みんなで頑張ろう」という気持ちになれるのだ。自分で発信をすることに抵抗がある人も大丈夫。エコに関心のある人のSNSを見るだけでもいいのだ。

地球のためじゃなく、自分のために楽しく「エコ活」をしよう

始めるきっかけは、“地球のため”より“自分のため”でいいと思う。
なぜなら、個人のエコ活に一番歯止めをかけてしまっている原因は、“地球のため”というワードだと感じている。
理屈では、みんな「地球のために行動しなければならない」と思っていても、日々の生活にに追われて他人事になってしまっている部分があるのではないだろうか。

そこで、わたしは“自分のため”のエコ活を提案する。お年寄りに席を譲ってあげたとき、前を歩いていた人が落とし物をしたとき拾ってあげたとき、誰しもすっきりとしたいい気持ちになるはずだ。
具体的な例は、かわいいマイボトルを購入したら「毎日買っていたペットボトルのお茶代を節約できるし、インスタ映えでみんなに自慢できるな。ついでにペットボトルのゴミを減らすこともできんだっけ」という具合についでにエコができる状態だ。

このように楽しくエコ活をすることができれば、“地球のため”という義務感から解放され、気が付いたら環境問題は解決されていた、なんて状態がわたしの理想である。