地球温暖化に森林破壊、大気汚染に水質汚染など環境問題は多岐にわたる。ゆとり世代にあたる私は、小学生の頃から学校教育の一環として、環境問題について授業で学んできた。環境問題とはどういうものなのか、原因は何なのか、そして環境問題を起こさないために、これ以上悪化させないためにどのような取り組みをしていけばいいのかについて授業で考え、グループ発表を繰り返ししてきた。

小学校でも中学校でも高校でも学んだはずなのに、環境問題は未だに距離が遠くて身近な問題として感じる事ができない。あまりにもその問題が大規模すぎて、脳が自分毎として捉えきれないのだ。

エコバックを活用しても、地球温暖化が解決するとは到底思えない

今年の7月中旬ごろ、職場の人と帰るタイミングが同じになる機会があった。最寄り駅へ向かう途中、夏の暑さを感じながら気候の話から始まり、温暖化の話になったとき、彼女が「地球温暖化を食止めるために、レジ袋をやめてエコバックを推奨してますけど、今更やってももう手遅れだと思うんです。私ひとりなんかがやっても地球温暖化は進むし、止まらないから意味がないと思うんですよね」と言った。

私はただ確かにその意見も一理あるし、気持ちがわかると思った。彼女の意見に反論があるとか、ひとりでも活動し続けていれば意味はあるよ、などと言うつもりもない。ふと、彼女が言う様に今エコバックを日本中の人が活用するようになったところで、果たして地球温暖化を始めとした環境問題が解決するとは到底思えない、と感じたのだ。

何となくの風潮でレジ袋がさも悪いもののように扱われ始めているが、レジ袋が開発された時はさぞ便利なものができたと多くの人に喜ばれたのではないだろうか。現に私もレジ袋には大変お世話になった。レジ袋を開発した方々も恐らく、純粋に多くの人に喜んでもらえるものを作りたいという気持ちを持って開発に取り組んでいたのではないだろうか。まさか環境問題へ繋がっていくことになるとは思いもしなかっただろう。

悪化する時間を遅くできるのであれば、そうしたいと思う

因みに私は今更こんなことしてもと思いつつ、エコバックを必ず出かける際に所持している。理由はレジ袋が有料化されたから。たかが1円されど1円。数円でも多く払いたくないという想いから私はエコバックをどこへでも持っていくようになった。

私のケチな根性の話はさておき、個人的に環境問題が根本的に解決することはないと思っている。だが、ただただ悪化するのをそのまま何もせずに見過ごすこともしたくない。悪化する時間を遅くできるのであれば、そうしたいと思うのだ。

文章に書き出してみると何と自己中心的な意見だと思うが、似たような考えを持つ方も一定数いるのではないだろうか。いや、同調を求めるのは誰もいなかった時に悲しいからやめておこう。

大切なのは、世の中に溢れる情報を元に自分の意見を持つ事

さてまとまりのない話をつらつらとしてしまったが、言いたいのは環境問題が改善されることはないからこそ、今後地球で生きていく上で環境問題とどう付き合うのかを一人ひとりが考え始める時期にきているのではないか、ということだ。大きすぎて身近に感じる事ができない環境問題については、きっと頭のいい研究者達が日夜それぞれの問題と向き合い、状況や対策を考え出してくれているはずだ。そして研究者ではないけど環境改善に取り組む活動家の方々や団体などが、一般向けに誰でもできる取り組み方法を考え出してくれるだろう。

一般の私は、レジ袋有料化やエコバック推奨のように、世間の風潮に乗っかってみる。ただそれだけ。「餅は餅屋」ということわざがあるように、難しいことは専門家に任せるに限る。そして、専門家の意見や世情など世の中に溢れる情報を元に自分の意見を持つ事。結果として行動するかしないかはどちらでも良い。それは自分の選択だ。エコバックを持つ人もいれば、レジ袋を活用し続ける人もいる。

私は今後どこへ行くにもエコバックを持ち、活用していくつもりだ。製品を購入する際に普通のものと環境に配慮したものが並んでいれば、環境に配慮した方を選択するだろうし、エコバックに続く新たな取り組みがあれば迷わずやってみるだろう。ゴミはちゃんと分別するとか、食べ物を残したり捨てたりしないとか。どれもちょっとしたことだから、一度やっただけで地球の寿命が延びるというような目に見える変化はない。だが、ちょっとしたことを自主的に取り組むだけで、日々の暮らし方の心持ちがちょっとよくなる気がする。だから私は、今後も環境に良いことや自分がしたいと思うことをやっていく。

一つの問題に対する考え方は人によって千差万別。だからこそ私は自分なりの考えを持ってその時々で選択しながら生きていきたいと思う。きっとその方が楽しいと思えるから。