私は私の顔が好きだ。平均的な顔ではない私の顔が好きだ。ただ、そう思えるようになったのはここ数年の話。

“老け顔”の私って可愛くないんだと自信をなくした

私はいわゆる“老け顔”だ。それは小学生の時に初めて自覚した。食べ放題の店でオレンジジュースを注文しようと思い、ドリンク券を店員さんに渡すと「ビールですか?酎ハイですか?」と聞かれた。冗談かと思ったが、店員さんは真面目な顔だ。こちらも真面目な顔で「オレンジジュースをお願いします」と注文してみたが、小学生の私にとってはとても不思議な事件だった。

中学生になり更に自覚が進む。私の中学校は登校するとすぐに着替えて、皆同じジャージを着て1日を過ごす。学年で1番可愛いグループの子たちは大きめのジャージをダボっとさせて、ダサいジャージですら可愛く着こなしていた。当時流行っていた縮毛矯正をかけて、校則ギリギリでお洒落を楽しんでいた。それに比べて私は、ジャージをダボっとさせると仕事に疲れた大人のよう。縮毛矯正をかけると若作りしている大人のよう。

自信をなくした。
私って可愛くないんだ。

今となれば“老け顔”=“可愛くない”という法則は成り立たないと知っている。ただ、思春期の中学生の私は“可愛い”と“可愛くない”でしか、自分を判断できなかったのだ。

自慢の髪をバッサリ切ったら、“サバサバした子”だと思われ始めた

私は腰まであった自慢の髪をバッサリと切った。若さからの思い切った行動だと我ながら感心する。なぜそのような行動をしたかというと、フレッシュな“可愛い子”たちと同じではダメだと思ったからだ。比べられそうで怖かった。私は自分から、“可愛い子”と戦う場所を変えたのだ。

髪を切ったことで周りからの目が変わった。“サバサバした子”だと思われ始めたのだ。本当はそんな事ない。中身は全然周りが期待する“サバサバした子”ではない。しかし、“老け顔”が目立たない他の個性ができた事で、気持ちが少し楽になった。

大学生、好きな人ができた。大人になり初めて付き合った2つ年下の彼。“可愛い人”になりたくて“サバサバした子”を演じるのを辞めた。髪を伸ばして、可愛い服を着た。しかし、ある時鏡に並んだ2人を見て違和感と同時に劣等感を覚えた。「私って老けてる...」忘れかけていたあの感情が溢れ出てきた。その彼は童顔だった。私って“可愛くない”んだ。そこからまた私は自信をなくし、気持ちと行動があべこべになった。彼もそんな私の変化に気づいたのだろう。少しずつズレが生じてすぐにお別れした。

そしてまた髪を切った。似合わない可愛い服もやめた。

社会人になって、むしろ“老け顔”は「武器」になると気づいた

そんなこんなで“老け顔”に振り回されてきた私だが、転機が起こる。

社会に出ると同年代以外の人と関わる事が多くなった。すると同年代と比べられることがなくなり“老け顔”が気にならなくなってきた。むしろ“老け顔”は「武器」になると気づいた。年上の方にナチュラルに接して貰えるのだ。すると、こちらとしても相手が年上という事に引目を取らずに話せる。“老け顔”な私はこれまでも見た目に合う行動、つまり実年齢よりも年上らしい行動や表情を心がけてきたからだ。(上手くできていたかは不明だが。)これは仕事でもプライベートでも「武器」になった。仕事では年上のお客様に「落ち着いていていいね」とお褒めの言葉を頂くことができたり、プライベートでは素敵な年上の彼氏ができた。

なぜ、今までこんなにも“老け顔”に劣等感を抱いていたのか不思議なほど晴れやかな気持ちになった。

そんなある日、中学校の同窓会へのお誘いが届いた。あの頃の“可愛い子”たちへの劣等感を思い出しながらも、気合を入れて同窓会へ挑んだ。あの“可愛かった子”たちが目に入った瞬間、ドキッとした。しかし、皆中学生の頃のフレッシュ感はなく、普通の女性になっていた。当たり前だが、私はホッとした。“私って可愛くないんだ”と気づいて泣いていた中学生の私がやっと顔を上げて微笑んだ気がした。初めて私も負けてないじゃんと思えた。勿論、容姿は勝ち負けではないのは分かっている。あくまでも、“老け顔”だけど、劣等感を持たなくてもいいんだという意味でそう思った。

“老け顔”に限らず、平均的ではない容姿は必ず強みになる

“老け顔”に悩んだ10代、20代前半。それが強みになると気づいた20代後半の私からすると、ほんの少しの悩みに思えてしまう。けれど、少し平均的ではないせいで気持ちまで暗くなってしまうほど、容姿が心に与える影響は大きいのだと思う。だから、私のような“老け顔”に限らず、平均的ではない容姿は必ず強みになることを私は大きな声で言いたい。そのキッカケはそれぞれだが必ずやって来ると思う。

そして、20代後半。ここから私は老けていくだろう。それでもいい。“老け顔”に慣れている私は老けることが怖くない。どうせ老けるならカッコよく老けたい。どうせシワができるなら、可愛い笑いシワを作りたい。これが“老け顔”と共に生きる私のモットーだ。これからも私は私に自信を持って生きていこうと思う。