「やばい、急がなきゃ」

大学生の頃のことだった。最寄り駅の、ホームへ向かう階段を三分の一程降りたところで、電車の到着を知らせる音楽が鳴り始める。一限に間に合うためには、この電車に乗らなくては。カツカツとヒールを加速させ、ドアの前に躍り出る。

扉の前でハッとした。そして、その電車に乗るのを諦めてしまった。扉が閉まったからではない。一限に行きたくなさ過ぎたからでもない。私の目の前にある扉が、女性専用車両の入り口だったからである。

「実は私男でした~」なんてオチではない。私はそんなに可愛くはないかもしれないが、一応女である。もちろん化粧品や香水の匂いが苦手というわけでもなく。

私が可愛くないから乗れなかったのだ。

車内での痴漢を撲滅するための女性専用車両に、自分が乗ってもいい理由が見当たらなかった。だって私は可愛くないから。
「お前みたいな女が痴漢されるとでも思ってるの?自意識過剰すぎ」
そんな声がどこからか聞こえてきそうで足がすくんでしまう。こんなこと考えている方が自意識過剰なのかもしれないけれど。

苺もカルーアミルクも、可愛い子専用のもの

またある時、好きな食べ物は何ですかと聞かれた。
私は小さい頃から苺が好きだ。鼻に抜けるような、さっぱりとした甘い香りが大好きで、毎年春になると季節限定の苺味商品を片っ端から食べまくる。
しかし私は「お寿司が好きです」と答えた。確かにお寿司も好きなのだけれど。苺が好きですとは答えられなかった。
だって私は可愛くないから。苺は「可愛い子専用の好物」だから。

研究室の飲み会で、次に何を飲みたいか聞かれた。私はカクテルなど甘めのお酒が好きだ。
本当はカルーアミルクを頼みたい気分だった。でも頼めなかった。
だって私は可愛くないから。カルーアミルクは「可愛い子が頼むお酒」だから。
結局スクリュードライバーを頼んだ。スクリューとかドライバーとか、強そうな単語が並んでいる割に、オレンジジュースのような味をしているお酒だ。

小さい頃から「私は可愛くない」を感じてきた

小学生の頃、友達のおうちで子ども用ドレスを着てお姫様ごっこをしていた。私は毎回、王子様役に立候補した。
私にはドレスを着たいと言う勇気がなかった。だって私は可愛くないから。

中学では、好きな子に好きだとバレるのが嫌で、わざと感じの悪い態度をとった。だって私は可愛くないから。可愛くない相手から好かれても、気持ちが悪いだけでしょう。

今となっては、どんな出来事をきっかけに「私は可愛くない」を自覚したのかは分からない。
むしろきっかけなんて無かったのかもしれない。
成長するにつれて徐々に、しかしはっきりと、可愛い子に対する扱いと、そうでない子に対する扱いとがあることを知った。
直接デブやブスなどとからかってくる男友達よりも、「弟くん可愛いのね!おめめがぱっちりでお人形さんみたい。お姉ちゃんは賢いのよね」と母に話しかける大人の方が余計に残酷だった。

今でも、「可愛くない」の呪いの解き方は分からないけど

そんな私も、今年の春から社会人になった。
社会に出るにあたって少しでも自信をつけたくて、自分に似合う髪型や化粧を研究した。来週末には、人生初のまつげパーマにも挑戦するつもりだ。自分に出来ることは、可能な限りしてきたつもり。
でもどれだけ鏡の前で今日は120点だな!と思っても、出先のショーウィンドウに映った自分の姿を見て愕然とする。えっ、待って。私めちゃめちゃ可愛くないじゃんと。

結局今でも、「可愛くない」の呪いの解き方は分からない。ただずっとこのままでいいとは思っていないし、このままでいたくもない。いつかは、自分の好きなものや選びたいものを偽らないようになりたい。

だから私は「好きな食べ物はお寿司です」と言った後に付け加えるのだ。同じくらい、苺も好きなんですと。