私は、新しいズボンを選ぶのが嫌いだ。
今でこそ、試着すれば穿けるズボンは圧倒的に増えた。けれども、新しいズボンを探すことに対する億劫な気持ちが強く、めちゃくちゃ元気がないと選びに行こうという気持ちにはならない。今穿いているズボンの色が薄くなり、毛玉だらけになりつつあるのを確認し、このズボンに頼らなくても毎日を過ごせるようにならなければ、そのために新しいズボンを探しに行かねばと思うのだが、実際に行く気になれない。
天気が良くて、上機嫌で、お金もたくさんあって、元気満タンな時がくるのを待つのみ。

小学生の私のズボン選びの基準は「穿けるかどうか」だった…

私は、太ももが太い。太いといっても、25歳になった今では、平均よりやや太いくらいだと思っており「まぁ普通かな」といえるレベルと感じているが、小中学生の頃は、確実に“太い”部類だった。今と小中学生の頃から太ももの太さは変わっていないと思う。身長が伸びたので目立たなくなったということだ。

私が通っていた小学校は、私服でそれぞれが好きな服を着ていた。私が小学生の頃は、スキニーパンツ流行時代だった。しかも、膝の部分が極端に細い、アレだ。その頃、ズボンを買いに家族で出かけ、良さそうなズボンがあれば「穿けるかどうか」が焦点だった。大概、穿けない。太ももが入らないのだ。母親と店員さんに同じズボンのサイズ違いをたくさん持ってきてもらい、何回も試着して、穿けるものはないか探していた。

この作業が楽しいわけがない。「これも穿けなかった」と母親と店員さんに言わなければいけない惨めさ。「なんで?」とか母親は聞いてくる。「太ももが太くて入らないのだ」と何度も説明をする。「また穿けなかったのね」と大人たちは少し笑けてくる。ズボンの色やデザインを追求することなく、穿けたズボンがあれば、すぐさまそれを買ってもらった。そして、限界が来るまで穿いた。

私の中のズボンに革命を起こした「ガウチョパンツ」との出会い

なんでそこまでしてスキニーパンツを探しめぐったのだろう。みんながみんな、スキニーパンツを穿いていたからだろうか。母親世代もみんな穿いていた気がするし、学校の友達もみんなそうだった気もするし、お店にもそれしか無かった気もする。

私の母親は、ファッションにあまりこだわりのないタイプだと思うが「他の子と同じものを着させたい」という気持ちが強かったと思う。私もその方がいいと思ってたし、今もそう思う。

時は過ぎ、それなりに大きくなった頃、ガウチョパンツが登場したのには感動した。「なんで私が小さい頃ガウチョパンツ流行らんかったん!?」と自分の生まれたタイミングを恨んだ。小さい子供とすれ違う時、かわいいガウチョパンツを穿いているのを見て「最高だ…」と思う。ガウチョパンツが流行っている今、私の小さい頃のように、ズボンが穿けないことで悩む子供はいないだろう。

スキニーが流行った頃に植え付けられた「細い方がいい」という感覚

私は今、ガウチョパンツを穿いている。トイレに行く時、少し気になるがそれ以外は問題ない。私は足首が細いので、細見え効果抜群だ。でも、ズボンを買いに行く時にワクワクすることはないのである。服を見て「いいじゃん穿いてみなよ」と言われても躊躇するのである。試着してみたら穿けなくて、サイズ違いをたくさん持ってきてもらう店員さんの姿が目に浮かぶのだ。

細いのが良いってのは、なんなんだろうか。細く見える方が嬉しいっていうこの私の気持ちはなんなんだろうか。太っていてもモデルやビックスターにもなれるのに。

細い方がいいって、私が教わったのは小学生の頃のスキニーパンツ。ガウチョパンツで育った子供らは、どうなんだろう。それでも、細い方がいいって思うんだろうか。

ファッションの流行は巡るから、次のスキニーブームを恐れている。今のうちにガウチョパンツを買い占めておいた方がよいだろうか。