中学、高校と男女別学に通っていたこともあり、異性の目から逃れることのできたわたしは、着る服のことなど何も考えたこともなかった。
わたしの私服は、制服だった。インドア派なことも相まって、おんぼろの寝巻きのような首元の伸びきったTシャツと、緩んで落ちそうになる半ズボンで年中過ごしていた。
遊びに行くための服に頭を悩ませる必要もなければ、学校でかわいく見えるための努力さえする必要もなく、気のおけない友達と楽しく過ごす毎日だった。

他人の視線に対して、どういう洋服で臨むべきなのかわからなかった…

転機は、突然に訪れた。
高校2年生の夏、大学受験を控え予備校に通わなければならなくなったわたしが、ついに異性の目にさらされることになる。外に出かけるために、急場で揃えた同じような上下一揃いを毎週のように着ていくことについに恥ずかしさを覚え始めた。

これまで想像もしてこなかった、誰かに見られているという視線に対して、わたしがどういう洋服で臨むべきなのかわからなかった。ただ恥ずかしくないだけの姿になることが、こんなにも難しいことだったなんて思いもよらなかった。友だちがファッション誌を貸してくれて、原宿に連れて行ってくれた。

友だちはファッションにこだわりがあって、わたしは友だちを信頼して言われるがままにファッション誌を読み込み、お店を巡って、洋服を買った。こんなわたしがオシャレなお店で洋服を買っているなんて、少し居心地の悪さを感じてはいたが、まずは着る服を買いに行くための服すらないわたしには「早めに乗り越えておかなければならないハードルだ」と耐え忍んだ。

こんなことをしていることが、親にバレたら恥ずかしいと思いながら、隠れて買ってきた洋服でお家ファッションショーを繰り広げているあたりから、わたしの不安は強くなっていった。どうもしっくりこない。わたしはこんな洋服を着たいわけではないのではないか。

たまたま手を伸ばしたファッション誌で出会った「憧れの人」

幸運なことに、センセイとなってくれた友だちのセンスの良さと、わたし自身が幾分身長が高くスらっとしていたことが相まって、異性の目からもわたしはオシャレに見てもらえていたようだった。ただ一抹の不安だけが、わたしをむしばみ続けていて、その不安から逃れるために手当たり次第にファッション誌に手を伸ばしては悩み続けた。

たまたま手を伸ばした女性ファッション誌に“その人”はいた。どの記事を見ても、その人の出で立ちは、芍薬の花のように華やかとして、わたしの網膜に焼きついた。わたしもその人のように服を着たいという思いはわたしには呪いとなった。

わたしは、気づいてしまった。「わたしはブスそのものなのだ」と。鏡の中には、角張った額や頬骨、平たい胸や細い骨盤が映っていた。羨ましがられることの方が多かったこの身長でさえも、気づいてしまったわたしには泣きたくなるような現実なのだった。

わたしがどんなにその人に憧れて近づこうと努力しても、わたしはなりたい容姿には絶対になれなく、リテラルに、全く反対のところにいることに気づいてしまった。

他人の為じゃなく、自分の為の「容姿」なら…やっぱり恨んでしまう

わたしを他者が見たときには、誰もそんな呪いを秘めていることになど、気づきはしないと思う。容姿も生まれながらの身体的アイデンティティに沿っていえば、むしろ恵まれてさえいるのだろう。ただ容姿は他者のためでなく、わたし自身のためにあるのだとしたらわたしは、わたしのこの容姿を、やっぱり恨んだ。

わたしが、その呪いに気づいた高校生のころから、今日まで騙し騙し生きてきた。身体に一致した洋服を着て、社会の中の役割に沿ってキャリアを考えて。ただ、その呪いはわたしに希望を与えてもくれた。憧れのその人自身はガーリィーカルチャーのど真ん中を突き抜けてはいたものの、ファッションを純粋な自己表現の手段として楽しんでいて、わたしの中のファッションの世界を広げてくれ、ジェンダーレスという可能性に出会わせてくれた。それは騙しながらでも生き抜く術をわたしに与えてくれたのだ。ほぼ同い年の憧れのその人は、その表現の幅を広げながら、今は二人の子どもがいる。

“なりたいわたし”になれる容姿を、わたしは持っていない。今はそれと戦うこともできていない。でも、高校生のとき雑誌で見たあの人は、今もわたしの憧れの人。社会からの逸脱を恐れず、わたしの欲しいわたしの容姿を目指せる日まで。