ホットプレートを広々と使って、生地をクレープのように広げて、ふんだんのキャベツをこんもりと。端でちょこちょこっと豚バラやおそば、玉子なんかを焼いておく。

“広島風お好み焼き”
きっとこれは、私の家族の味。

父が思い付きで作る得意料理は、今も記憶にの残るお好み焼き

父の得意料理は、広島風お好み焼きだった。
『今日はおとうさんがお好み焼きを作ってやるわ』
なんでも思いつきな父は、週末急にそんなことを言い出す。父は所作もコミュニケーションも全てにおいて不器用で、よく私たちを困惑させた。
豪快にひっくり返すもんだから机にはキャベツが散っていたし、焼き終わったときには父のつまみ食いのせいで量がウンと減っている。でも、父が作るお好み焼きは格別においしいかった。もう何十年前の話だけど。

食べ終わった後の母は、片づけを一切しない父に『作るだけなら誰でもできるわ!』と嘆きながら、焦げが付きまくったホットプレートや、ソースまみれの何枚ものお皿の洗い物に取り掛かる。(ほんとうに汚かったから大変やった)もう何十年前の話だけど。

学校の教室・音楽室・塾の三点移動が主となった高校生のときから、私は家から居なくなった。正確に言えば、“寝るために家に帰る”ようになった。その頃から優しい思い出・苦い思い出ぜんぶ含めて、あまり家族との思い出がない。私自身、学校での勉強の進度にしがみつくのが精一杯だったし、部活に熱狂していた。両親は今聞くところ、転勤や係変わり等で仕事で大変な時期だったらしい。“広島風お好み焼き”の“ひ”の字も会話にあがった記憶はもちろん、ない。

母がふと決めた夕飯のメニューで今日が特別な日に変わる

そして今、私は大学四年生になった。
もちろん、広島風お好み焼きを食べた記憶など遠い遠い昔のことである。

今日は、これといって特別な日ではなかったはずだ。
今日の母との夜ご飯は、あの“広島風お好み焼き”になった。夜ご飯のメニューを聞いた瞬間、私にとって、今日は特別な日になった。家で広島風お好み焼きを作って食べるのなんか、何年ぶりだろう。引っ越してきてから開けてさえいない段ボールがあって、その中からホットプレートのコンセントを探し当てることから始まった、広島風お好み焼きづくり。結構母も思いつきなところ、あるじゃん。

「ホットプレート、温度は何度ぐらいだったんじゃろう」
「生地の下に玉子を焼くんだったっけ?」
と、記憶をゆっくりと手繰り寄せながら。

当時は片づけに嘆いていた母が、「おいしいの食べさせようって一生懸命作ってくれとったんじゃろうなあ」なんて嘆いている。

母が作るお好み焼きは父の味。この特別な味をこれからも味わいたい

父が亡くなってから、早一年が経とうとしている。
母が作る広島風お好み焼きは、もちもちの生地で、具がたっぷりで、しっかりと味がついていて、父の味とそっくりで。さすが夫婦だななんて思った。

これからもいつまでもずっと、今日みたいな特別を味わっていたい。多くは求めないから、あたたかくてやわらかい日々を。ああ、一年後の自分は、どこで誰とどんな風に過ごしているのだろう。何かを追い求めていたり、何かに追われていたりしている時はこんなことを思う余地さえないんだけど、久々に実家に帰ってきたら…家族と一緒に時を重ねていたら…よくこんなことを思ったりする。
きっと今日みたいに、何かがきっかけで一日が特別な日に早変わりする日もあれば、何気ない日常に特別が散りばめられていたりするんだろう。

私にとって、今日は特別な日になった。