キーンコーンカーンコーン
キーンコーンカーンコーン
私は今、中学生の頃に思い描いていた夢とは全く違う場所にいる。私は看護師として、患者さんとたわいもない話をしながら注射を打っているはずだったのに。
あれだけ苦痛だった授業の終わりを告げるチャイム。あれほど恨んだ先生。なのに、なぜ私は今学校に勤めているのか。
自分を苦しめていたのは「No」と言えず我慢してしまう性格だった…
時を戻そう。今から8年前の今頃、中学生の私は吹奏楽部で部長をしており、文化祭での引退を目前に日々必死に時が過ぎるのを待ちながら、自分の力が燃える限り精一杯戦っていた。
部長として、弱小チームを引っ張るプレッシャー。
そして、1つ下の後輩から感じる、見えない圧力と冷たい視線。そう、私は部長でありながら、2年生の部員を中心とした多くの人に、陰湿なからかいを受けていたのだ。2年生が生意気な態度を取るようになったのはいくつか理由があるが、その中でも特に前年まで顧問だった教師が、人数の少ない自分たちの代の意見を差し置いて、後輩の意見を優先し甘やかしたのが1番の原因だと今も思っている。
決して練習をサボっていたわけでもなければ、先輩として悪怯れた態度を取っていたわけでもない。しかし、致命的だったのが私が、“ハッキリ言えない性格”だったことだ。嫌なこともハッキリ相手に伝えられず、我慢してしまう性格がのちに自分を苦しめるとも知らずに、2年生の私は1年生が贔屓されている状況を不満に思いながらも我慢に我慢を重ねた。今年度限りで顧問が定年退職し、新しい顧問が来て、自分たちの意見が尊重されるであろう日を待っていた。
そして、中学3年生の4月。新しい顧問がやって来た。私は、溜まりに溜まったフラストレーションを新顧問にぶつけた。しかし、何かおかしい。状況は理解してもらえたものの、私たち3年生の意見が全く通らないのだ。そう、新顧問もまた“ハッキリ言えない性格”だった。
側から見ると優しいが、それ故に2年生の意見が日に日に強くなっていく。私は、状況を変えようと必死だった。1年生はきちんと育てようと足掻きに足掻きまくってこれまでになかった挨拶の練習や声出しもした。練習もせずに、ただ私の悪足掻きを嘲笑うかのような2年生6人の目。私はいつの間にか、影で「もじゃ公」と言われるようになった。
本当は助けてほしかった…。私は、我慢とストレスで限界だった
そして気付けば、部活以外でもからかいの目が向けられ、吹奏楽部でない2年生までもが私を嘲笑っている。廊下をすれ違うだけでも好奇の目を向けられ、しばらく経って背後から異様な笑い声が聞こえる。「もじゃキモい」「今日も、もじゃっとる」「もじゃもじゃすんなや」すれ違い様に浴びせられた言葉は、8年経っても時折記憶の中でこだまする。
それでも15歳の私には、知らない間に増えてる敵に怯えて、知らないフリをすることしかできなかった。「うるせぇ、黙れ」と叫ぶことができなかった。やがて私は過度な我慢とストレスで知らぬ間に自分の限界を超えていた。そして、強いストレスで免疫が落ちてカンジダ症を発症してしまった。
日々、2年生のアンチに嘲笑われ、夢にまでも「もじゃ公」に追いかけられる日々。流石にまずいと思い、他の先生に助けを求めた。しかし、遅すぎた。多すぎる敵に学年が違うという壁。正直、誰までが敵であるか把握しきれなかったことと、私が卒業間際で受験目前ということもあり、先生は「今は辛いかもしれないけれど、我慢してね。先生が話を聞くからね」という答えを下した。私は強がって「大丈夫です、そうゆう奴らの方が弱いと思うことにします」と答えたが、本当は助けて欲しかった。
こっそり机上に「SOS」と書いたり、わざと職員室の前を足重に歩いて見せたりした。しかし、気付かれなかった。そんな日々に嫌気がさした2月、私は下校途中にふと川を見た。急に飛び込みたくなるような衝動に駆られた。しかし、いや待て。遺書書いてないし、寒すぎる。今はやめとこう。こうして、現在もなお、なんとか生きている。
卒業式の日、頼っていた先生は、母にこう言った。
「彼女気にしすぎで…」と。私は、心の中で「え?なんでそんなふうに言うの?」と思った。中学生の私に気にしすぎないことなんて無理に決まっている。今思えば、気にしすぎないようにするほどの視野が広くなかった。だから視野を広げるため、勉強以外の方法で教えて欲しかった。けれど、母や他の人にいじめの事実を話さないでほしいとお願いした以上、先生が母に託した隠れた伝言だったのかもしれない。
あの時早く先生が助けてくれたら、私はカンジダ症にならなかったかもしれないのに。なんで助けてくれないの? 私はしばらく先生を恨んだ。
あの頃の辛い経験が、私に教員という夢をくれた。だから、大丈夫!
しかし、高校2年生の時、YouTubeで過去の学園ドラマ『女王の教室』を見たのをきっかけにある思い付きをする。私が先生になって、先生に復讐をしてやる。私ならこうするのに。そして私みたいに心身症で苦しむ前に子どもたちを救うことこそが医療だ。
本当に単純でアホらしい思い付きかもしれないが、“いじめ”や“カンジダ症”その他、中3の時の痛々しい経験諸々が私に夢をくれた。無事に教員採用試験に現役合格し、教員になってもうすぐ半年を迎えようとしている。正直、もともと教員を目指してなかったため、日々授業をやりこなすのに精一杯で、自分が満足できる教員生活は送れていない。
だけど、これから私の思い付きが実現出来るといいなぁ…。そんなことを思いながら今日も必死に仕事に食らいつく。
そういえば、この前夢で8年ぶりにあの時の彼女らと睨み合った。夢の私は、あの時と違った。「いい加減にしてよ!」この一言が言えたのだ。夢ではあるけれど、少し心が軽くなった気がした。
いいぞ自分。私はあの時と違うんだ。これからも強気で前向きに。私は、きっとあの時の自分よりもちょっとは大きくなっているんだ。その調子。
これからは「YES」だけでなく「NO」も言える自分として生きる。そして、恨みが目標になった今、私のように辛い思いをする子を一人でもなくすことを目標に、これから長い教員生活を歩んでいきたい。