あぁまたか、この子もか、、、
この間出かけてたばっかりだよな、、、
最近はそんな思いをずっと抱えている。
私は3月頃からずっと自粛期間を過ごしている。これを読んで当たり前だと思った人はいるだろうか。もしいたらその人と友達になりたい。
なぜなら、私の周りにはいないから。
一足早く自粛をはじめた私は、遊びまわる友達を心配していた
自粛期間で辛かったのは3月と8月だ。
世間的には遊んでいる人がまだ多かった3月、私の家には既に緊急事態宣言ともいえるルールがあった。
けれど私自身部活のオフが始まる時期で遊びたくて仕方がなかった。福岡や金沢・沖縄、
友達が続々と旅行に行く中で私はただその様子を画面ごしに見ていた。
なぜ出かけてはいけないのかという思いがストレスとなり日々積もっていった。耐え切れず母に話すと、返事は毎回「あなたのため」とのことだった。誰よりも情報収集をしていた母は、コロナに感染したら後遺症が残ることを知り、私の将来のことまで考えてくれていた。母の言葉を聞くと友達に対して、出かけてほしくないという気持ちが大きくなった。大切な友達だから感染してほしくない、かかった後に後悔してほしくないと思った。
その後、3月下旬には感染者数が増え始め、4月には緊急事態宣言が出された。
危機感を持つところだけれど、どこか安心していた自分がいた。これで友達の誘いを断らずに済む、皆が家にいる時間が増えて良かった。電話もできる、と。そんな4月はあっという間に過ぎていった。だんだんと授業が始まる人も増え、5月下旬には緊急事態宣言が解除された。
夏休み、社会から隔絶された気分になって芽生えた「なんで私だけ?」
7月までは授業もあり今思えばあまり辛くはなかったが、3月よりも苦しんだのが8月。
テストも終わり夏休みが始まるというところで、大学生は再び外出を始めた。全国で感染者数が増え続けているというのにも関わらず。県内に住みバイト先が都内であったため、この頃の私はバイトもオンラインでやらせてもらっていた。家族以外の人とはほとんどコミュニケーションが無い状況の私は、自分が社会に生きている心地すらしなくなっていた。その状態がだんだんと私の考えを変化させた。
”こんなにも感染者数を減らすためにステイホームをしているのに、なぜあの子は”
友達の心配をしていた3月の気持ちは、自分は我慢しているのにという感情に変わっていった。
「ごめん外食できないの」「ごめん市内の人としか会えないの」「ごめん電車控えてるの」
「それが普通だよ」「そうだよね」「そんなに厳しいんだ」
友達ってなんだろう。。。
膨らみすぎてかかえきれなくなった感情を手放すために
今は遊べなくても、友達が来年・再来年まで待ってくれることはわかっている。けれどなんだか悲しい気分になる。なにより、自分を持っていない自分が嫌だ。友達と比べるから遊びたくなるし、ないものねだりをする。そんなことわかっているはずなのに、無意識でやってしまう。
そして9月。
そんな自分から脱却するためにSNSの使用時間を大幅に減らした。
自分と向き合い、自分のやりたいことや将来について考える。コロナ期間とは本来はそういう時間として使うものなのだと私は思う。
『矛盾と葛藤』から広がる様々な感情が人間を成長させていくのだろうか。
今の私にはまだわからない。