“怒り”は、何色だと思う?
私は青色だと思う。

私の中から怒りが消えた日のこと、今でも鮮明に覚えている。その頃私は小学3年生で、実験をするために理科室にいた。私の通っていた小学校は、1学年1クラス、女子はたったの7人で6年間を共に過ごした。理科室の水槽で、右往左往しているだけのメダカを見ては「世界はこんなに広いのに一生ここに閉じ込められたままなんて」と感想を抱いたけれど、それは私も同じだ。

私はボスのYちゃんとYちゃんに金魚のフンの如くくっついているNちゃんの顔色ばかり伺っていた。2人の気分で、ターゲットが変わるいじめ。そして、その矢印が私に向き始めたのを感じ取った6月の午後。

あの頃の私は、いじめられても唇を噛んで耐えるしかできなかった

私が他の女の子と違っていたのは、飛び抜けて背が高いことだ。丁度身体測定があり、背が低いのがコンプレックスらしいボスのYちゃんの癇に障った。馬鹿馬鹿しいけれど、それが私が次の標的に選ばれた理由だ。

無視や体操着を隠されるくらいなら、別によかった。仲間外れは、恥ずかしいし胃がキリキリするけれど、一緒にいたって自分を殺してボスと金魚のフンの機嫌を損ねないようごまをするだけ。心のどこがで、1人でいられる心地よさを感じていた。

しかし、今回は普段のいじめと一味違っていた。休み時間中、頭を押され叩かれるという新種の攻撃があったのだ。自席についた私の頭のてっぺんに手を押し当て、全体重をかけられる。それも、椅子に立ち、ジャンプで勢いをつけて。それから、握り拳や国語辞典で「縮め!縮め!」と叫ばれながら、ボコスカ叩かれる。

今なら「心が歪んでいるから、骨も歪んだんじゃないんですかー? そんなことをしてもアナタの背は伸びませーん! 背を伸ばしたければ牛乳を飲んで、バレーボールクラブに入っていっぱいお寝んねしてくださーい!」くらい言えるけれど、良くも悪くも毒に触れてこなかった当時の柔な私は、唇を噛んで耐えるしかなかった。

マグマの如くこみ上げるエネルギーに対し、倍のエネルギーで蓋をした

そんな地獄が1週間ほど続き、2時間連続の理科の授業の休み時間。この日はボスの機嫌が悪く、私への攻撃もヒートアップした。押す、叩く攻撃に加え、鉛筆を頭皮に刺されたり、頭を掴んでぐらんぐらんと揺らされたりした。私の脳細胞は、かなり死んだと思う。IQも10くらい下がった気がする。「縮め!縮め!」笑いを含んだ黄色い声が反響する。

視界が揺れる油絵になり、自分の血液が足の裏から煮えたぎって登ってくるのがわかる。真っ赤な血液は、無色透明になって胃を通過するころ透き通った青色になって沸騰する。青い炎は喉を通って脳天を突き抜ける。コイツら本当にバカだ、こんな奴らにへこへこしていた自分もバカだ、他の子を一緒になって無視した自分もバカだ、身を守るためだから仕方ないと開き直って私の頭を叩く女達もバカだ、気付かないふりを続ける男子達も先生もみんなバカだ。

私は脳内で、目の前の実験台に置かれたアルコールランプを右手で掴んで思いっきり地面に叩きつけて割った、みんなが私を一斉に振り返り、私達の世界で起きていることをわからせてやろう、もう目を背けられないようにしてやろうと思った。

なのに、できなかった。私は生まれて初めて感じた、マグマのようなこみ上げるエネルギーにその倍のエネルギーを使って蓋をした。手の平に爪を食い込ませ、奥歯を砕かれるほどに噛みしめ、重い重い蓋をした。途端に能天気なチャイムが鳴って、私は日常に飲み込まれた。

私の頭に集まっていた女達が、それぞれの席に散らばって、若くて人気のある理科の先生が実験の説明をする。それから班長の男子が得意げにアルコールランプに火をつけて、私は自分の手で殺した本当は大切な怒りを弔うように迸る炎をいつまでも見ていた。

大人になってからも「怒ること」はなく、恋愛に支障をきたした

「遊花ちゃんって怒ったりしなそうだよね」
大人になった今でも、よく言われる。

すぐに服を褒めてくる女の子とか、デートに誘うタイミングを見計っている男の子とか。図星だ。怒らない=温厚という良い印象があるようだが、良いことばかりじゃない。

支障をきたしたのは恋愛だった。私が別れを切り出した時、男はパニックになる。「えっ! なんで? 全然そんな素振りなかったじゃん」と慌てふためき、次第に「嫌なところあるならちゃんと伝えてくれなきゃわからないよ。あんまりじゃないか」と怒りに変わり、最後は嘆いてストーカーか、未練がましい男になってしまう。

この人のここが許せないと思った時、例えば「今日飲み行くから夕飯いらないや」と私がご飯を作り終わってから連絡を遣すところ、「悪口じゃないよ?」という顔をしながら、気持ちよさそうに品のない嫌味を披露するところ。そんな時、私は怒らない。泣きもしない。無闇に傷つけたり困惑させたりしたくはない。

ただ、しっかり言葉にして伝える。だけどそれではわかってもらえない。笑って流されたり、その場限りの返事で終わる。たまには怒るフリをして(キレた演技で職員室に帰る先生みたいな白々しさで)みたけれど、寒くて長くは続かなかったし。だから不満を伝えても伝えても、改善されず散り積もって、ある日プツンと愛情が切れるのだ。

私の友人の多くは「恋をしても冷静な私を羨ましい」と言う。自分は怒り散らかして、泣き喚いても疲れるだけだし、相手も「ヒステリーだ! メンヘラだ!」と言って離れていくと。だけど、私が付き合ってきた人たちは、取り乱しでもしないと私の気持ちに向き合ってくれなかっただろうし、だからといって取り乱しすぎた私を受け止めることも出来なかっただろう。

面と向かって丁寧に言葉で伝える、それだけで私の気持ちを真に受けてくれる人がいたらいいのに。それはわがままなのかな? 舐められもせず面倒くさがられもせず、丁度いい可愛さを保ったまま怒ったり、泣いたりできる子になりたかった。大事にされたかった。

今でも鍋を火にかける度、その炎の青さが昔失った怒りへの懐かしさを孕んで目が離さなくなる。だから私が作るゆで卵は、しょっちゅうパサパサになる。そんな残念なゆで卵を顔を顰めながら頬張る私は可哀想で、多分可愛い。

最後に。怒りを露わにするのはみっともないことじゃない。怒るべき時に怒れなかった後悔はしこりになる。どうか、湧き出た怒りを素直に認めてあげて。