今年初めて、金木犀の香りがした
(金木犀のタトゥーを入れた話)
ふと金木犀のタトゥーを入れようと思った。特に理由はない。
社会人になりお金にも余裕ができて、タイミングもよく気になっていたタトゥーのサロンの予約も取れそう、
今を逃したらずっとできない気もした。
無事に予約も取れて、2020/9/21に決まる。
当日。予約の時間は15:00。
14:00ちょっと過ぎには駅に着いたので、コーヒー屋さんでアイスコーヒーときな粉のラスクを注文。外の席。
予想より緊張していることに気がつく。
どうしてだろう?新しい経験をするわけだから当たり前か。
「背中をバンって叩いて欲しい」とたまらず友達にLINE。
こんなに緊張するとわかっていたら付き添ってもらっても良かったかも。
うん、まーそんなことを言っても時間は過ぎていくし。
きな粉のラスクがおいしい。緊張していてもおいしいものはおいしい。
このとき今年初めての金木犀の香りがしたけれど、
この現実社会でそんなドラマみたいなことは起きるはずがない。
(頭のなか:わたしとわたしの身体について)
自分の身体との向き合い方は難しい。
爪の形が好き。母親に似たと思う。
肩幅の広さが嫌い。なんか全体的に骨が太い気がする。
二の腕が嫌い。太い。痩せたら細くなるのかな。
腕に傷がある。小3の時、飼い猫に引っ掻かれた時のもの。死ぬまで残っていてほしい。
膝に傷がある。高校生の時、少しヒールのある靴を履いて転んだ時のもの。さっさと消えて欲しい。
目の大きさが好き。よく褒められる。しかし褒められた時の良い返答が思いつかない。
眉毛の形が嫌い。手入れも面倒なので前髪は下ろしている。
タトゥーの痛さは気にしなかったのに、直前で「痛いのかな」と思った
(金木犀のタトゥーを入れた話)
15:45 そろそろサロンに向かう。
入口が分かりにくて前をうろうろしてしまったけれど、なんとか着いたー。
手の消毒をして、テーブルの前に通される。
デザインの確認と、タトゥーを入れる場所の確認をする。
「お待ちくださいね~」と彫り師の方は言うけれど、
こちらは手際の良さに見とれているくらい。
鏡の前でデザインが描かれている紙を合わせて、印をつけてもらう。
「初めてですか?」「あ、はい」「緊張するでしょう」「そうですね、かなり」
「ここに来るまでが一番緊張するからね。来たらもう大丈夫」「はあ」
もっと色々と話をしたかったのに、緊張していて簡単な受け答えしかできない。
「では始めましょう」「あ、はい」
タンクトップ姿でベッドに横になり、わたしの腕にライトが当たる。
「あ、あの、痛いですか?」
ここまでタトゥーを入れる痛さについて全く気にすることがなかったのに
直前になり「痛いのかな」なんて思ってしまった。
「痛いですけど、我慢できない痛さじゃないですよ」「あ、なるほど」
何が「なるほど」なのかわからないけれど、納得して、施術が始まった。
(頭のなか:わたしとわたしの身体について)
中学生の時、満員電車の中で知らないひとに手を握られたことがある。
振り解こうとしてもうまくいかず、あきらめて、次の駅まで耐えていた。
その手はすごく冷たく、色白だった。感触は今でも簡単に思い出せる。
中高生のときは、痴漢によく遭遇していたと思う。
それははとても普通のことで、友達ともよく笑い話として話をしていた。
今でも鉄板ネタのように、痴漢エピソードを話すことができる。
笑って話す自分に腹が立つ一方、
ほんとうに受け入れがたいことは、笑って話すと救われることがある。とも思う。
施術が終わり、外へ。タトゥーを入れる前と変わらない日常に飛び込む
(金木犀のタトゥーを入れた話)
施術中。「あ、たしかに痛いけど我慢はできる」と思う。
そこからは、目を瞑りながら(こわいので手元は見られない)
この痛みの度合いをどう言語化できるか、施術が終わるまで考えていた。
「はい、終わりました」「え、もう終わったんですね」
恐る恐る目を開けて「どうぞ鏡の前で見てみてください」
二の腕の内側に、小さい金木犀のタトゥーがあった。
「すごいかわいい。ありがとうございます。」
これ以上の言葉を言いたかったけど、かわいくなった二の腕をただ眺めるだけで精一杯だった。
二の腕がかわいい。わたしの身体の中で、いちばんかわいい部位になった。
お会計を済ませ、帰る時には、ガーゼを丁寧に貼ってくれた。
「帰ったら、剥がしちゃって大丈夫ですよ」「はい、わかりました」
「では、今日は以上になります」サロンの入り口に向かう
「どうぞ、お大事に〜」「ありがとうございました」
ドアを開けて、外。
金木犀のタトゥーを入れる前と何も変わらない、変わるはずのない日常に飛び込む。
「せっかく都会まで来たから、大きな本屋さんにでも行こうー」