「胸は大きい方がいいんだよ。その方が好かれるから」

自分はアルバイトで子どもと関わる仕事をしているのだが、最近少し衝撃を受ける出来事があった。ある女子と身体に関する話をしていたときに、「女の人って胸が大きい方がいいんだよ、その方が好かれるから」と何気なく言っていたことである。そのときは、「そうかな?先生は関係ないと思うけど」とやんわり否定して場を済ませたが、その発言はずっと自分の頭の中をぐるぐる回り始めた。

ぎょっとした母親の言葉。巨乳・貧乳と値踏みされた大学生の夏

胸に関して、衝撃的なことは過去にもいくつかあった。
最初の衝撃は、幼稚園のころ「ママのおっぱいを触りたい」と発言した自分に対して「ママのおっぱいはパパのものだからだめ」と母親に返されたときである。このときは意味はさっぱりわからなかったが、すごくぎょっとした。そして、年を経ると意味を理解して、反吐がでるような気持ちになった。

人生で一番嫌な気持ちになったのは、大学生の夏に男女数人で旅行にいったときのことだ。慣れないお酒を飲んでひとしきり盛り上がって、部屋に戻ろうとした時。一人の男子が声を発した。「お前が好きなの巨乳?貧乳?」場は一時しんとする。「えっ?」もう一人の男子が聞き返す。「お前は貧乳だろ」「うんそうだよ」このとき、自分は確かにその場所にいて、アルコールの匂いの漂う部屋の空気を吸って、冷たい冷房の空気に触れていたはずなんだけれども、その場にいないかのように自分が透明になった瞬間だった。

その場で、一人の人ではなくて、巨乳・貧乳の記号のついた存在になって、勝手に値踏みされていた。とても苦しいのに、何かよくわけがわからなくて、何も言わずに友達ときしむ階段をあがって、部屋に戻った。

学んだことを人に伝えることで、透明が薄れていった

その後、フェミニズムの考えや川上未映子さんの文章にふれることで、あの時々に自分が感じた違和感が確かなものであったこと、それが権利を侵害しているものであったことを自分は学んだ。

同時に、学んだことを人に伝えることで、はじめて透明が薄れていくような気持ちになった。子どもたちには、人の身体に関して侮辱してはいけないことや人のプライベートゾーンを勝手に触ってはいけないこと、それは犯罪であることをしっかり伝えるようになった。(それでも例えば漫画で、スカートをめくるシーンや胸が過度に誇張されたキャラクターも存在し、悩みは尽きない)

社会を変えるにはミジンコのような一歩かもしれないけれど

同世代の人たちとの会話の中でも、きっとうざがられるだろうなあ、場が冷めるなあ、めんどくさい人だと思われるなあと思いながらも、透明になりそうな時「全然おもしろくないと思うよ」「それはこうだと思う」と言うようにして、透明になる前に、自分の色を残すようにしている。

社会を変えるにはミジンコのような一歩かもしれないけれども、自分にとっては日々を更新する、大切で震える一歩だ。

あのとき透明になった自分には「怒っていいんだよ」とささやいて、背中を押してあげたい。