生まれた頃から、わたしの顔にはホクロがいくつかある。
たかがホクロと思う人もいるだろうが、左頬とおでこにポツポツとできた大きなソレは、27歳になるまで私の人生や容姿を、大きく左右するものとなった。

前髪を長くして隠したり、左頬を隠したり…「ホクロ」が嫌いだった

物心ついた頃から、私はこのホクロが、嫌いで嫌いで仕方なかった。

父を見ると、彼の顔にも無数のホクロがある。私はその中でも左頬とおでこにだけ、父と同じ位置にホクロを受け継いでしまったのだが、幼少期の頃から、それはそれは目立つ位置にあった。周りはみんなキレイなつるっとした肌色をしているのに、私だけ黒いポツポツが顔にある。そのことが最初は不思議でたまらなかったが、そのうち顔のホクロを男子にいじられ「ホクロ」というあだ名までつけられるようになった。

母に相談すると「気にすればホクロはもっと大きくなるわよ。放っておきなさい」と家事の合間の背中から、適当な返事が返ってきた。
「お母さんはいいよ、だって、ホクロなんてない、きれいな肌をしてるじゃない」そうつぶやいた私の声は、このときの母に、届いていたのだろうか。

おでこのホクロは、まだいい。前髪を長くして、ホクロのある場所を隠せるから。けれど、私はこのホクロのせいで、やってみたかったぱっつん前髪も、今流行っている前髪かき分けも、この歳になるまで、全く挑戦することが出来なかった。

それに、左頬のホクロだけは、どうやっても隠せない。今はコンシーラーなどのアイテムもあっただろうが、田舎出身で、当時まだ高校生が化粧なんて許されなかった時代の私に、“隠す”なんて選択肢はなかった。だから、一生懸命口元を隠す努力をした。冬場はマフラーをぐるぐるに巻いて、夏場は授業中も休憩時間も、左頬に左手をあてて、まるであごを支えている体制のように見せながら、目立つホクロを隠してきた。

「冬の大三角だな」
理科の授業の途中、星座の話をしていた先生の話を聞いた隣の男子が、私にそう言ってきた。なんのことか一瞬ぽやんとしたけれど、すぐにわかった。

「…そっか、私のホクロのことか」
私の左頬のホクロは3つあり、それぞれが三角形型になっている。だから、冬の大三角形。その男子に悪気があったのか、はたまた、ただの冗談だったのかはわからない。けれども私はそれから、ますますホクロとの上手な付き合い方ができなくなっていった。

ずっと嫌いだった「ホクロ」をとった日、私は初めて前髪をかき分けた

そんな10代を過ごした私は、20歳になった頃、ホクロをとることを決意した。どうやら、皮膚科などでは数千円~1万円くらいでホクロをとってくれるらしい。

「ずっと嫌いだったコイツとおさらばできるなら」とバイトで貯めたお金を握りしめて、病院に行った日のことを今でも忘れられない。少しの痛みと腫れだけで終わったホクロ除去手術のあと、医者に「ホクロは何度もできてしまうものだから、また気になったらおいでね」と言われ、私のホクロは無事にとることができた。

その日、私は嬉しくて、前髪をかき分けながら、人の多い通りをスキップして帰ったのだった。

最大のコンプレックスだったホクロ、今では自分の「個性」になった

あれから7年が経った。
私のホクロだが、実はそのあとまた出てきてしまい、現在も同じ位置にある。おでこの真ん中に1つ、左頬に三角形に3つ。けれども私は、もうそれらを嫌いと思うことも、病院に行ってとろうとも、微塵も思っていない。

それは、私のこのホクロを「かわいい」と言ってくれる恋人に出会ったからだった。あれから紆余曲折を経て、いろいろな人と付き合う中で、自分の容姿に対するコンプレックスは、実は周りから見るとさほど大したことではないことに気付いた。

うまく描けない歪んだ眉毛を「好きだ」と言ってくれる人もいた。自信のない一重を「まるっこくてかわいい」と言ってくれる人もいた。私のちょっとぽっちゃりした体型を「抱き心地が良いから痩せないでよ」と優しく抱きしめてくれる人がいた。

10代の時、私をからかっていた男子は、本当は私のことが好きだったのではないか。うまくいえないその気持ちを冗談まかせに言ってしまっただけかもしれない。そんな風に思うほどに、私は恋人たちのおかげで、自分の容姿を少しずつ受け入れられるようになった。そして、本当の女性の価値は、外見だけで決まるものではないということにも。

そうして、年月が過ぎた頃、私の最大のコンプレックスだったこのホクロたちを「口元にあるってかわいいね」「なんかちょっと色気があって良いよ、それ」と、褒めてくれる人に出会った。嬉しかった。本当に。

もう前髪を必死に伸ばして隠さなくても、口元をマフラーでぐるぐる巻きにしなくても、用もないのに机の上で、左手を左頬に押し当てる必要もない。

私はこの人の前で、素直に“自分”でいればいいのだと思った時、このコンプレックスだったホクロは、“自分の個性”だと思えるようになった。

「冬の大三角形だね」
あの時の理科の時間に戻っても、私は今、それを褒め言葉と受け入れることができるだろう。

コンプレックスを自分の“好き”に変えてくれるのは、愛する人の何気ない、そのたった一言なのかもしれない。