来月の中旬、結婚3周年を迎える。時の流れは早いもので、「いつ結婚したんやっけ?」と聞かれれば、「3年前やなぁ」と答えなくてはならないのか。
親に猛反対された結婚をへて、またまた縁もゆかりもない土地へ
4年制大学を卒業し、地元大阪を離れ、縁もゆかりもない名古屋で新卒入社。その年の10月に交際半年で直属の上司と結婚。友人に結婚しようと思うと打ち明けた際みんな喜んでくれました。しかし、親は猛反対で、それはそれは猛反対だったのですが、別にだからなんだという感じで結婚しました。
選択に対してアドバイスする人がその選択の先で私が悲惨な目にあったとき、助けてくれるなんて保証はどこにもないし、相手もそもそも自分のことでいっぱいいっぱいなはずなのにそんな真剣に自分のことを考えてくれているわけではないということを常々思っている質なので、たとえ親の意見であっても受け入れる必要はないと考えていました。
話は逸れてしまいましたが、そんなこんなで結婚します。そして、今現在は社会人1年目で夫と出会った仕事は辞め、夫の地元で別の仕事をして暮らしています。これまた縁もゆかりもない土地です。
そうするとたまに思うことがあります。
なんにも愛おしくないなー。と。
この街が愛おしくないのでは?と1度浮かんだらもうそれは最後
昨日そう思ったのはジムの帰り道でした。ひとりで自転車を漕いで家に向かっている最中に、大阪では馴染みの無いいつまでもしっくりこない変な名前のスーパーを通り過ぎて、家の隣の大き目の薬局の看板が目に入ったとき、この景色に何の愛着もないなぁと感じたのです。夫婦間も特に問題はありません。健康的なレベルで喧嘩をし、一緒に出掛けたり、仲良くやっているほうだと思うし、強烈な不満も特にありません。向こうのご家族にも良くしてもらって寂しい思いをすることもありませんが、そんな人たちと過ごす街がなぜか全く愛おしくないのです。この感情に気が付いたのは、あるとき大阪に帰っていて、そこから自分の生活のある夫の地元へ戻ってきた時でした。今まではなんとなく、大阪帰りたいな~という風に考えていたのですが、これは裏を返せば、今生活している街が愛おしくないのでは?という考えが1度浮かんだらもうそれは最後でした。
事あるごとになんだこの街。となるわけです。私は周りのものを愛しながら生きていきたかったようです。無意識にもそういう気持ちからか、植物を熱心に育てている時期がありました。どの植物も苗から大きく育てたのですが、夫のお母さんに預けて、大阪に行き、一度自分がここでの暮らしを愛おしいと思っていないことに気が付くと、帰ってきてそれらの植物を見ても、なんじゃこりゃ?という気持ちになったのを覚えています。最近はその植物たちに話しかけることもなくなりました。
自分が何をしているのかがわからなくなって。現状を変えたいとは思う
普通に日常生活を送っていて、支障をきたすことはないのですが、ふと愛おしくないという感情を思い出すと、自分が何をしているのかがわからなくなってしまします。
精神が病んでいると言われれば、まあそうだろうなと思うことができるほどに、変な感覚です。これから、子どもができて、母になって、この街でいろんな経験をすることでこの街も愛おしくなるでしょうか。何も自分のものではない、何にも愛着がない愛おしくない。そんな感情もなくなるくらい全てを愛おしいと感じる日が来るのでしょうか。最近は気づいてしまったこの気持ちが寂しいのでしょう、日常的に使う身の回りのものから思い入れを抱き愛しく思うことで、ここでの生活自体が愛しいと脳に錯覚させる作戦を思いつき、あれこれと試す毎日です。
雑貨などを買う際にできることなら、既製品を買わないことにするなど。例えば、何かハンドメイドで1点ものとか、天然なので柄が同じものはないといったものを選ぶように心掛けているのです。なんだよそれと思う方もいるかもしれませんが、そんな変なことをしだすくらいには、現状を変えたいと思っているようです。大丈夫かよとなぜか客観的に思う日もあれば、あかんあかんと焦る日もあり忙しい。すべてを愛するつもりもないのですが。