私は、大阪生まれ大阪育ち。ゴリゴリの関西人です。
就活の時に初めて、夜行バスに8時間以上揺られて東京に来ました。
上京して気づいたのは、大阪も都会には違いないけれど…規模が全然違うと思いました。
「大阪も東京に負けてないし」とずっと思っていましたが、いざ目の当たりにすると「都会指数が全然ちげぇ~」ってひっくり返っちゃいました。
私は大学で映画を学んでいたので、映像関係の就職先を探していましたが、大阪では求人の応募が少なくて。求人サイトの検索を“大阪”から“東京”にすると3倍近い募集があり、この時点でかなり打ちのめされました。
芸術関係で仕事を探していた人には、“あるある”かもしれません。
私にとって「地元」は、ぬるくて灰色をしたイメージの街
私の地元は大阪の中でも人口が一番多い地域で、ファミリー世帯が多く住むエリアでした。駅前にはショッピングモールや飲食店もあって栄えていますが、少し歩くともう住宅街です。電車で15分もすれば『天王寺』に行ける好立地ですが、正直そんなにイケてない。いかにも“地元”って感じ。
団地がたくさんあって(私も両親の離婚後は団地育ち)夜はサイレンの音や謎の発砲音が聞こえたり、喧嘩の声もよく聞こえていましたが、それが普通だと思っていました。
中学生までは大体みな同じように成長しますが、高校を出たら大学や専門学校に進学して会社員になる子もいれば、高校を出てすぐ地元で仕事をして同世代よりお金を稼いで、デカイ車を買って、結婚して子供ができて、週末はショッピングモールに行く。そんなループを何世代も繰り返していそうな家族が多く住む街でした。
「どこ中出身?」
「あ~タバコの火で全焼したとこ?」
という会話は、地元の人は繰り返しするけど、別に何もおもしろくない (それ、何十年も前だし)。
私にとって“地元”は、色でいうと灰色。温度でいうと“ぬるい”、そんな街でした。
憧れだった可愛い女の子が…マウンティングするようになったなんて
私には、ずっと憧れの幼馴染がいました。可愛くておしゃれで、彼女がいる場は明るい雰囲気になる“特別な女の子”。
彼女とは中学校から別の学校に通うことになりましたが、会わない期間があっても縁は切れずに関係が続いていました。彼女は2年制の専門学校を出た後、地元に残りモデルのような活動をしているようでしたが、昔より周りを惹きつけるオーラは弱くなっていて、よくいる“可愛い女の子”に近付いているように感じました。
同じ頃、私は学生で映画を撮影する費用を稼ぐために、大阪の北新地でクラブホステスをしていました。お客さんは有名企業の方ばかりで、言葉遣いや食事の作法も、私はそこで学びました (その経験がとても社会勉強になった)。
彼女にその話をすると、返ってきた言葉は「私も地元のスナックでバイトしたことあるけど、その店のママに『あんたは可愛いくてモテるから水商売しなくても良い』って言われてん」と私を見て言いました。私は、あまりの衝撃に言葉を失いました。
それからというもの、彼女がいる席では“地元でイケてる彼女の自慢話”を聞いて、褒めないといけない、という暗黙のルールができました。お洒落でかっこよくて最強だったあの子が…彼女ならもっと地元を飛び出して羽ばたけたのに、私みたいな小者にマウンティングする必要なんてなかったのに…(私が彼女に勝手な理想を抱いていただけで、彼女にとっては失礼な話ですが)。
この時、私は「地元から出ないという事は、怖いことかもしれない」と思いました。
地元を離れて、自分の常識を広げ「多様性」を受け入れながら生きたい
地元にいると、“狭い世界で起こる出来事、自分に見えている事だけが常識”だと感じてしまう事が多いように感じます。
私が「アダルトグッズメーカーで働いている」なんて言ったら、地元の人で受け入れてくれる人は少ないだろうなと思います。
多様性を受け入れてくれたり、受け入れなくても「そういう人もいるよね」と、受け流してくれる環境で私はこのまま生きていきたいな。