今じゃSNSで、否が応でも数値化されるようになった知名度

こんなタイトルなのに一般人の書いたエッセイを読みに来てくださって、どうもありがとう。
捻くれ者か、好奇心が強いか、はたまたキレているのか、どれなんだろう。
そんな貴方に読んでほしい。

知名度って、いまやテレビや雑誌に出ているような芸能人のみならず、YouTuberやInstagramer等にも使われる言葉になった。
演技ができなくても、特別容姿端麗じゃなくても、漫才ができなくても、光る才能があればインターネットを用いて得られるようになった知名度。
SNSなんかでは、わかりやすく数字として表れる。
フォロワー、いいね、RT、インプレッションetc……
一般人の私でもSNSをやっているから、否が応でも数値化される。
そして、ときに言われる「フォロワー少なくない?」という言葉。
「一般人のフォロワーの数なんてどうでもいいじゃん!」と言いたいところなんだけれど、指摘されるとなんだか恥ずかしくなってしまうからまたややこしい。
かといって、有名になりたいかと言われると別にそうでもない。
だって一般人だし。
ただの会社員だし。
でも「フォロワー少ない」は、確実になんかちょっと傷付く。
社会性が欠如していることを指摘されたみたいな気持ちになる。

単独ライブこそが最高だと思っていた私が、複数の芸人さんのライブへ

話は変わるけど、今年の夏はコロナ禍であまり出掛けられなかった。
そんな中で唯一、夏の終わりにお笑いライブに行った。
会場は私のよく行くヨシモト∞ホール。
複数の芸人さんがそれぞれネタをやったり、みんなでコーナーをやったりするライブだった。
私はあんまりそういうライブには行かない。
いつも行くのはだいたい単独ライブだ。
好きな芸人さんのネタをひたすら見続けて、好きな芸人さんのネタでたくさん笑う。
どんな芸風か分かっていて、尚且つ好みの芸人さんのライブなのだから、絶対に面白い。
お金を払って行くのだから、好きな芸人さんだけを見られる単独ライブこそが最高だと思っていた。

が、しかし、今年はコロナ禍で多くの単独ライブが中止になった。
軒並みライブが中止になって払い戻しばかりの日々は、正直心が折れてしまい、家で一人で泣いてしまうほど辛かった。
笑いたくて買ったチケットに泣かされる日が来るなんて、想像もしていなかった。
徐々に規制が緩和され、客席の間隔を開けてお笑いライブが再開されると、もう飛びつくようにチケットを買った。
笑いに飢えていた。
単独ライブかどうかなんてどうでも良かった。
ただただ、生でお笑いライブを見たかった。
笑いたかった。
その一心だった。
だから知らない芸人さんも出るようなライブでも構わなかった。
お笑いは好きだけど、詳しくない。
しかも私自身どの芸人さんのネタも面白いと思えるほど器が大きくないような気がして、不安だった。

ごめんなさいと思った。私の中の知名度という物差しが折れた音がした

でもライブが始まると、個人名はおろかコンビ名すら知らなかった芸人さんのネタで声を出して笑っていた。
プロの芸人さんなんだから、そりゃあ面白いに決まってる。
拍子抜けだった。
知らないから面白くないんじゃないか?
知らないからお金払う価値がないんじゃないか?
そんなのただの私の差別だった。
私の考えが浅はかなだけだった。
ごめんなさい。
そう心から思ったし、こんなに面白い芸人さんがたくさんいるのに知らなかったなんて、不勉強な自分が情けなくなった。
食わず嫌いしてはいけない。
見てもいない芸人さんのネタが面白いかどうかなんて、分からないのだ。
そのとき、私の中の知名度という物差しが折れた音がした。

もしもこのエッセイが誰の心にも響かなかったとして、それは私が知名度のない一般人だからじゃない。
私の実力不足だ。
逆に誰か一人にでも響いたら、こんな知名度のない一般人のエッセイにも、きっと価値はあるはずだ。
とかなんとか言いながらも、やっぱり知名度の無さがまだちょっと恥ずかしいけど、でもきっとそういうことなんだ。