私は小学校から大学まで、ずっとソフトボールをしていた。そういうと、たいがいの人に「えっ、そんな風に見えないですね!」と驚かれる。

どうやら私は、スポーツなんて縁のなさそうなゆるふわ文化系に見えるらしい。ソフトボールしてそうな見た目ってどんなだろうと思いながら、いつも愛想笑いをする。

私は、ソフトボールは好きだったし「気合や根性」など多くを学んだ

両親の影響でプロ野球が大好きで、たまたまソフトボールの盛んな地域に生まれた私。生まれつき体力がなくて、かけっこも鉄棒もできないから楽しくなかった。外遊びが嫌いで、お絵描きが大好きなおとなしい子供だったけど「野球みたいなことを楽しみながら、強くなれるかも」と思って、小学3年生のときにソフトボールチームに入った。

私の読みは、ほとんど当たっていた。プレーはプロ野球選手のまねっこみたいで楽しいし、練習は厳しいけど、その分体力も精神力も鍛えられた。

でも、みんなに比べたら全然うまくなれなかった。元々の運動神経と体力が違うのだ(体幹が弱い人が多いとされる発達障害と診断されるのは、私が大人になってからのこと)。小学校だけ人数が少ないからレギュラーだったけど、中学以降は試合に出られることはほとんどなかった。

それでもソフトボールを続けたのは、好きだったし、学ぶことが多かったからだと思う。気持ちで勝つことの大事さや「無理」と言わない気合と根性、心技体、元気があればなんでもできる。精神論で人生のいろいろなことを乗り越えてきたけど、それがとうとう足かせになるときが来た。

私は、精神を病んで休職した。原因は体調がずっと悪かったのに、仕事が終わらないからと“気合”で残業しまくっていたこと。私が体育会系部活で学んできたことは、間違っていたのだろうか。体調も心配だけれど、これから何を指針に生きていけばいいのだろう。人生の迷子になった。

「本当は元気で活発な女の子になりなかった…」と涙が溢れてきた

ある日、主治医の勧めでカウンセリングを受けた。カウンセラーさんは、私より少し年上の、優しそうなお姉さん。初対面の人に、どこまで打ち明けることができるだろう。
「この部屋、寒くないですか?どうも空調が利きづらくて。困っちゃいますよね」と、カウンセラーさんは私に聞く。やわらかで、朗らかな口調だ。
「大丈夫です、寒くないです」
「そうですか。気分が悪くなったりしたら、すぐ言ってくださいね」
緊張は続いていた。でも、この人になら話せるかもしれないと思った。

「ひとみさんは、どんな学生時代をお過ごしだったんですか?」と聞かれ、私は、おそるおそる気持ちをを言葉にする。
「私は、ソフトボールをやっていたんですけど、運動は苦手で、勉強の方が得意でした」
「そうなんですね。それでは、そんな自分に対して、どんな風に思っていましたか?」

私は、ドキドキしながら答える。
「本当は、勉強なんてできなくたっていいから、元気で、スポーツの得意な子になりたかったんです……」と話しながら、涙があふれ出していた。

そう、本当はソフトボールをもっとうまくなりたかった。みんなみたいに強い体で、レギュラーでバリバリ試合に出たかった。元気で活発な女の子になりたかった。

その一方で、精神論で頑張ることが、私を苦しめてきたんじゃないだろうか。私が続けてきたことは、正しかったのだろうか。ソフトボールは楽しかった、でも諸刃の剣だったんじゃないだろうか。拙い言葉で、私は伝えた。

「体育会系で生きてきてよかったのかなと思うんです。体育会系をやめて、もっと肩の力を抜いて生きればいいのかなぁ」と私が話すと、カウンセラーさんから返ってきた言葉は、意外なものだった。「でも、自分がいいものだと思ったから、自分の中に根付いてきたんじゃないですか?」

二面性上等!気合と根性と一本気だった生き方に「柔軟性」が生まれた

実際、学校生活や社会人生活で、体育会系マインドが役に立ってきた経験は数知れない。私は、いいものだと思って、自ら能動的に受け入れてきたんだ。それがわかったところで、もう一つ教えてもらった。

「しんどいときは、気合や根性をゆるめることを覚えるといいかもしれませんよ」と教えてもらった後、パッと視界が開けた。そうか、今まで体育会系で学んできたことは捨てなくていいんだ。状況に応じて、“ゆるめる”。必要なときには、また強める。それでいいんだ。どっちも持っていていいんだ。

それからは、気合と根性、一本気だった私の生き方に、柔軟性が生まれた。体育会系だけの一本足打法より、ゆるふわ文化系と二本足で立った方が強いはず。
二面性上等! 私は、体育会系ゆるふわで、生きていく。