幼い頃の経験から作られた長所が大人になって生きづらさの原因に

私は、幼い頃から競争社会にいた。
家の中では、3人姉妹の末っ子。手加減を知らない家族だからいつもゲームや喧嘩には負けて、泣いてた。でも、心の中では「次はめためたにしてやる」っていつも意気込んでた。
家の外では、3歳からバレエを始めた。夏と冬の発表会で1番前やセンターになるために練習に励んでいた。こうして、今の私の性格である「負けず嫌い」「完璧主義者」は育てられた。
また、バレエでは「好かれたもの勝ち」という学びを得た。どんなに頑張っていても、先生に好かれなくてはセンターにはなれない。多少下手くそでも先生に愛されたら絶対的センターになるのだということを。そして、「みんなに好かれたい」と思うようになった。
そんな性格の私は、子どもの頃は悩むことなく、伸び伸びと生きていたが、大人になるにつれて生きづらさを感じ始めた。

まず、初めてその気持ちを感じたのが高校の部活動での部長決めの時だった。小学校から習っていたサッカーを中学、高校と続けていたため、実力は申し分なかった。
そして、この真面目に取り組む性格と明るくみんなを元気付ける性格で、同期の中では部長候補トップであった。
しかし、先輩が決めた部長は私ではなかった。この理由を後、聞いてみると「全力さが伝わりすぎて、痛い」と言われた。
大学のサークルの役職決めにおいても同じだった。練習や行事ほぼ全てに参加し、みんなに嫌がられる仕事を自ら引き受けても、先輩からは「真面目すぎる」とやりたかった仕事をもらえなかった。真面目という自分の長所が否定された瞬間だった。

母に言われた一言で長所が矛盾に変わり、私の心を苦しめる

1番辛かったことは高校生の頃、母親となぜかは覚えていないが、「優しさ」について話した時、「あなたは優しいじゃなくて、偽善者なのよ」と言われた時だ。

「偽善者」
言われたこともとても辛かったが、何よりそれを否定できない自分がいたことが辛かったのだ。自分の長所と思っていた部分がどんどん否定されていき、「自分には何が残るのか」「何のために生きているのか」と疑問を抱くようになった。
そして、自分の性格を否定することが始まり、何かに取り組んでいても「あなたはどうせ報われない」、優しい行動して褒められても「私は偽善者だから偽りの優しさなんだよな」といつも考え、自信が消えていった。
自信がなくなってからは、ずっと心の中の矛盾との戦いだった。
完璧でいたい自分と不完全な自分、人を笑顔にしたいと肯定した自分とそうして人に好かれたいのかと否定した自分、ダメ人間と認め、楽になったと考える自分と理想と現実に苦しむ自分、何も悩みのないふりの自分と悩みにふける自分である。その矛盾は私の心を苦しめ、夜な夜な1人でベッドの上で泣いていた。

自分と向き合う時間に見つけた、未来の自分のためにできる第一歩

そんな矛盾と向き合う時間が最近できた。
就活の一環として行った自己分析、他己分析である。初めて自分を深掘りし、「この経験が今の自分を作ったのか」と原因を知って、安心した。自分だけのせいではないと思えたからだ。
また、初めて周りに自分のことを真剣に話し、自分は偽善者なのではないかと聞いた。その時「目的がどうであれ、人に良いことを自然とできていることが素晴らしいんだよ。何もしないよりいい。」と言われた。
長所も短所も紙一重なら長所に目を向けようと思った。そしたら、気が楽になった。
今の自分は過去が影響して、未来の自分は今が影響する。そうであるなら過去ばかりに目を向けず未来の自分のために今の自分を受け止めてあげることが大事だ。私は、まだ受け止めるための一歩目だが、いつか自分を好きになり、自信を持てたらいいと思う。