「わーいお散歩だ!」と尻尾をフリフリしている犬。「ご主人はおれが守るぞ」とキリリとしている犬。「ここはどこかしら、わからないけど楽しいからいいかしら」とキョトンとしている犬。

散歩中の犬の共通点は、かわいいことだ。それに尽きる。

大型犬も中型犬も小型犬も、ひたすらにかわいい。世界中に散らばるかわいいのカケラをひとつずつ集めて、清潔な鍋に丁寧に入れて、くつくつ煮込んで一晩おいたら、散歩中の犬になる。きっとそう。

生き物を飼う、という決意を、わたしはまだ固められていない。我が家の一員となるのなら、その子がすばらしい人生を送れるように、たっぷりやさしくしたいと思う。けれど、自分の世話で手一杯の今のわたしに、もうひとつの命を背負えるとは思えない。

だからこそ、フンフンと楽しそうに散歩をする犬を見るたびに、あぁかわいい、一生しあわせであれ、飼い主の方も健康であれ……と願ってしまう。近くにいないからこそ、道端で愛らしい姿を見られることがたまらなくうれしいのだ。

かわいい、触りたい、でも知らない犬だ。静かなバトルが始まる

散歩中の犬に出会ったとき、わたしの頭の中では静かにバトルが始まる。

「散歩中の犬だ! かわいい! 触りにいこう!」とはしゃぐ無邪気な人間と、「待て待て、あの子と面識はないだろう。勝手に触るのはよくない」とたしなめる冷静な人間。そんなふたりのバトル。

触りたい、いやだめだ。遊びたい、我慢しろ。せめて視界に入りたい、散歩の邪魔だ大人しくしろ。

バトルに勝つのは、いつも冷静な人間だ。わたしは勝手にしゅんとしながら、散歩中の犬の横をトボトボと通り過ぎる。

仕方ない、だってわたしと散歩中の犬には、なにひとつ繋がりがない。勝手に触ってはしゃぐのは失礼だろうし、飼い主の方も困惑するだろう。「触っていいですか?」と聞きたいけれど、そこで「あ、NOです」と言うのは勇気が必要だ。本当は嫌なのに、飼い主の方に気を使ってほしくない。

あぁでも、本当は触りたい。あの毛並み、振られる尻尾、つぶらな瞳。どうかどうか、わたしにチャンスを。

そうだ! 犬のほうから来てもらえばいい。ポンと出てきたアイデア

触りたい、でも触れない。

そんな葛藤をしているうちに、ポンと出てきたアイデアがあった。

こちらから行く勇気がないのなら、あちらから来てもらえばいいのでは? 人間に撫でてもらいたい犬のほうから、見つけてもらえばいいのでは?

そこからのわたしは、滑稽だった。

散歩中の犬を見つけるたびに、周りに気づかれないように、少しだけ歩みを遅くする。犬の目線となるべく同じになるように、微妙にひざを曲げたりもする。

撫でてもらいたくないですか? わたしの両手は空いていますよ……。メッセージが伝わるように、さりげなく微笑んでみたりもする。犬に向かって。

不器用で滑稽で。わたしのかわいいところを、どうか褒めてくれ

わたしなんて、難しいことを考えているフリをして、本当は犬に「あのう、触っていいですか」と言えないくらいちっぽけだ。28年間生きてきたけれど、頭の中はこんなものだ。

でも、そのちっぽけさが、滑稽さが、単純さが、不器用さが。

わたしの、かわいいところだと思うのだ。

なにかいやなことがあっても、悲しいことがあっても、散歩中の犬を見た瞬間に「イヌ……カワイイ……カワイイイキモノ……」と思考がそちらにつられてしまう。

単純だ。人間なんてそんなもんだ。わたしなんて、そんなもんだ。

歩くスピードをゆるめる姿を、ひざのバネを駆使して犬と目線を合わせようとする姿を、ばかなことをしているねと笑ってほしい。できれば、少しでもやわらかな感情を、笑いの中に含ませてくれたら。

完璧にはなれない。子どものころ思い描いていた大人には程遠い。今でも難しい話は苦手だし、誇れるような特技はないし、すぐにサボるしすぐ拗ねる。

そんなわたしだけれど、犬に気づいてもらうために、一生懸命にはなれる。自分のそんな一面は、なかなか、誇っていいところだと思うのだ。

犬に気づいてもらための、わたしのアイデア。今のところ成功したことはないが、結果はまだわからない。諦めない。きっとわたしはこれからも、散歩中の犬を見るたびにどこか滑稽な人間になる。そんな自分が、きらいじゃないから。