私は昔から太っている。
そして、それをコンプレックスに思いながらも痩せられないでいる。
同感×100!他国から見たら「日本人は体型に厳しすぎる」
“痩せた体型=キレイ”の呪い。 他国から見たら、他人の体型にうるさすぎる日本人。
高校時代の友人たちとグループチャットをしていたとき、友人が別の友人の結婚式に参加した際の写真を送ってきた。友人は「○○ちゃん、痩せてきれいになったね」と花嫁についてコメント。彼女には何の悪気もなかったと思うが、私は勝手に傷つき、攻撃されたと被害妄想し、被害妄想している自分を自意識過剰と罵る悪循環に陥った。彼女にとっては、“痩せている=美人”であるのだとすると、私は生まれてこのかた“美人”であったことはないということになる。
ポッドキャストの『勝手にEJ!』という番組のある回で「アメリカではプラスサイズの歌手が活躍していてボディポジティビティが高まっていますよ」という話をしていた。 出演していた二人のアメリカ人の英語教師たちは「日本人は体型に厳しすぎる。自分は『太っている』と言われたことは今までなかったけど、日本に来てから言われるようになった」と話していた。
さらに驚いたのは、女性の先生の話で彼女の旦那さんは日本人なのだが、彼女に50kgまで痩せてほしいので豆腐を食べるようすすめてくるというのだ。番組の司会が、我々を代弁して「でも、それ冗談ですよね?」と確認すると「本当に豆腐を買ってくるから、冗談じゃないと思う」とのこと。実際本人は、それでお痩せになったそうだが「疲れる」と言っていて不憫になった。
体型にあれこれ言う人は、他人の体を「管理出来る」と思っているのか
その話を聴いて、似たようなことを思い出した。私が大学時代交際していた相手だ。そのときは、ちょうどダイエット直後で少し痩せていたのだが、彼からすればそれでもギリギリだったらしく、付き合う前に「でも、それ以上太らないでね」と言われたのだった。
今この男性たちのことを考えると、どうして他人の体を自分がコントロール出来ると思うのだろうかと怒りの感情が湧いてくる。もちろん、あまりにも太りすぎていて健康を害するというのなら分かる。しかし「太ったら別れる」と言うのならば、その瞬間フェアな関係ではなくなるし、そこまで言うんだったら私のためにバランスのいい食事を三食作って、嫌いな運動にも付き合ってくれるのだろうか。それならこちらも喜んで、お願いしたいところだけれど。
なぜ、これほどまで日本では男女関わらず、“痩せている=美”という価値観が根付いてしまっているのだろうか。さらに、その裏返しである“太っている=醜”という固定観念も。
女性芸人たちが「ブス」「デブ」と、テレビで揶揄されているのを目にすることが大いにこれらの価値観形成、そもそもこのように他人の体型についてコメントすることが、公に許容されてしまう社会形成に影響しているのではないだろうか。
欧米では人の体型について、とやかく言うことはよしとされていない。先述のポッドキャスト『勝手にEJ!』の先生たちも「お互いの体型についてなるべくコメントはしないようにしている」と言っていた。もちろん例外はあると思うが、それでも私も三年前に渡英してからずいぶん楽になったと感じている。誰も「ダイエットしなきゃ」なんて言うのを聞いたことがない、それって日本から来た私からするともはやカルチャーショックだ。
太っている私は、日本では「愛される価値」がないのだろうか…?
アメリカの作家ロクサーヌ・ゲイが『What Fullness is』というエッセイの中で、彼女がどのようにして減量手術を受けようと決意したかについて書いている。その中に「スーパーの駐車場で男性に『その大きい黒い尻をどけろ!』と怒鳴られ、家に帰って、翌朝目覚めなければいいのにと思いながら眠りについた」という経験が書かれている。そして、どうしても痩せられない怠惰な自分を責める気持ちについても。
痛いほどよく分かった。友達はきっとみんなこんなもの食べていないのかもしれない、それでも食べ物が好きでやめられないという渦巻く気持ち。大学時代、サークルの男の子たちに「電車で痴漢にあったことがあるか」と聞かれ「ない」と答えると「そうだよね」と笑われたことがある。痴漢などされたことがないに越したことはないのに、なぜか恥ずべきことのように感じさせられた。
日本に帰国をし、婚活をしようと思っていても、そのことばかりが蘇ってきてなかなか一歩が踏み出せないでいる。こんな太った私は、日本では愛される価値はないのだろうか。「女性の体型はこうであるべき」と決めつける社会の声に隠れて生きていくしかないのか、私は悔しい。