女っぽい服装が苦手だ。女っぽい服装とは、テロテロしたブラウスにヒラヒラしたフレアスカート、小花柄やドット柄などの挙げればキリがないけれど、そういったもの全般。

私は普段ボーイッシュな洋服を好んで着ることが多い。クールな印象を与える顔立ちをしているからか、自然と自分に似合う服装を好むようになった。

ただ、ボーイッシュに振り切れてはいないため、女っぽい洋服も全く持っていないわけではない。たまに着ることもあるが、そういう服装で出掛けると「なんか違う」と感じ、その洋服を選んだことを後悔する。もう女っぽい洋服は着まいと思って妹にあげることもあるが、時間が経つとその気持ちを忘れて、また買ってしまう。

着るだけでなく、その姿を見られることは同じくらいの抵抗感

女っぽい洋服を着ることと同じくらい、着ている姿を見られることにも抵抗感がある。
制服などは別にして、大体の人は自分が良いと思った洋服を着ているはずだと思う。服装はどうしても他人の目に入る外見の一部分だ。服装で全てを判断することはできないけれど、その人の好みやセンスが客観的に判断されてしまうものだと思う。

私は服装を通して、他人から「そういう服装が好きな人なんだ」と思われることを気にしてしまう。私が本当に好きな洋服と、着ている洋服の系統にズレがあると、その気持ちは強くなる。女っぽい服装の日は「私の好みは、本当はこれではないんだ」と、誰からも聞かれていないのに言いたくなる。

また、気持ちの面でも窮屈さを感じる。女っぽい服装をすると、内面も女性らしくなろうとしてしまう。服装のようにかわいらしい女性でいないといけないような、性別は女性だけれど女性を演じているような気持ちになる。

苦手なのになぜ、私はまた女っぽい服を買ってしまうのか

こんなことを考えずに、何の抵抗もなく女っぽい服装ができたとしたら。今より生きやすくなるだろうし、とても良いことに感じられるけれど、自分らしいとは思えない。

私はなぜ苦手だと分かっているのに、女っぽい洋服を買ってしまうのか。それは、自分の性別に合った格好をすることが正しい、という雰囲気が世間的にあるからではないかと思った。本当は着たくないけれど、それを着ることが正しいと思う気持ちがあるから、私は勘違いをして買ってしまうのだろう。

買い物に行けば、レディースの店には女っぽい洋服が多い。当たり前の光景だが、女性は女性の格好をすることが普通だとされている結果の表れだと思う。それを当たり前だと感じることは、服装は性別によって決まっているものだと暗に認めることになってしまう。

性別に合った格好が正しいわけではない。自分を信じて服装選びを

嫌いな服装をわざわざする必要はない。そんな雰囲気は無視して他人の視線など気にせず、自分の好きな格好をすれば良いと言えば、その通りに思える。でも、問題はそこではない。性別に合った格好をすることが正しいと、目に見えない雰囲気として存在していること、それ自体が問題だからだ。

女っぽい服装を好む人もいれば、私のように苦手な人もいるだろう。どちらも間違っていないし、そもそも正解などない。それなのに、性別に合った格好が基準とされているから、基準から外れた人は間違いのように見えてしまう。

女っぽい服装、と言っているが、その言い方こそ性別に縛られている。本来、服装に女も男もなくて良いはずだ。

そう思っていても、私は確信が持てないでいる。女っぽい服装をしている人の多さに惑わされて、また買ってしまうかもしれない。私は私を信じられるようになりたい。